5人の王

看られないけどみていたい
ウィロウ×シアン

 額にひやりとしたものがふれて、ウィロウはわずかに身じろいだ。
 目を開ければ、寝台のかたわらにシアンが座っていた。伸ばした手でしきりにウィロウの顔をさわってくる。なにかをたしかめるように、指の腹で頬をなでられるのがくすぐったい。声を出そうとするとのどがつっかえたようになって、どうにも話しづらいのがくやしかった。
「いつ来たの」
「つい先ほどだ。召使いが食事を持ってきていたが、食べるか」
「そう……いや、後で食うよ」
「具合は良いか。それとも悪いのか」
 熱はすこし上がっている、とつぶやくように続ける。寝台に視線を落とした横顔はいつも通りに澄ましていた。
 王宮で仕事をしているはずのシアンが屋敷にいるのはおかしい。ウィロウが体調を崩したと聞いて帰ってきたのだろう。なにを言って出てきたのかと思うと、情けなさでめまいがして、ウィロウは考えるのをやめた。
 置いてある食事と、薬の包みをながめながら、シアン、と声をかける。
「食べとくから、もう行けよ」
「せっかく来てやったのにおまえは冷たい。なにか私に言うことはないのか」
「はあ? あー……心配かけて悪い」
 拗ねたようなことを言うので呆れた。シアンは考えるように一瞬黙って、「悪いと思うなら早く治せ」とにべもなく言った。それから書類を広げて腿の上に置き、ぱらりとめくりはじめる。腰をすえた相手にうんざりしてにらんだ。シアンはウィロウの表情に気づいているだろうに、手を止める気配がない。
「あのさ、聞いてる? もう行けって」
「なぜ私を追い出そうとする」
「うつったらどうすんだよ」
「私に?」
 趣味の悪い冗談でも聞いたように、シアンはくちのはしを吊りあげた。顔の良さもあいまっていやみなほど隙がない笑みだ。見下ろされているのがなんとなく気まずくなって身体を起こした。すると、シアンが器から汁をすくって、こちらへ差しだそうとしてきたので、慌てて止める。
「んなことしなくても自分で食うって」
 シアンの手から匙を奪うようにつかんだ。あからさまにムッとしたのを放って食べはじめる。
 味気ない病人食を流しこみながら、シアンを盗み見た。眉間にしわを寄せて不機嫌そうにしているくせに座ったままで、ウィロウが食べ終わるまではてこでも動かないという意思を感じる。気づけば窓からの陽は少しずつ傾いていて、ウィロウは放り出すはめになった仕事のことを考えた。
 体調の悪化に気づいたのは副長官のほうが先で、休息をとるよう勧められたのに後回しにしたのが失敗だった。十代のころは、根を詰めてもすぐに影響が出ることはなかったのに。敷設中のシェブロン全土を網羅する貿易路に関する申請書や見積書の確認、各地方の水路の補修工事についての設計図書作成、マギとの会合や視察の調整などその他もろもろは、どうなったのだろう。思い返せば返すほど、休んではいられない気がした。
 馬車を手配してくれた副長官の、いつになく苦り切った顔が頭をよぎり、ため息をつきたくなる。
 皿をすっかり空にしてから薬をのみこむ。食べ終わったことを示すように、音を立てて匙を置いた。シアンはこちらを見ない。黙ってにらんでいると、何枚か手もとの書類をめくってからようやく顔を上げた。
「なんだ」
「食べ終わったんだけど。むこう行ってくれない?」
「ふうふなのに、同じ部屋にいるのもいやだと言うのか?」
「そうじゃねえの、わかってんだろ。わがまま言うなよ」
 くちにしながら、これでは恋人というより子どもに言い聞かせているようだと思った。
 シアンのわがままは慣れっこで、言いだすと聞かない上に、やっと聞いたと思ったら後から斜め上の手口で丸め込もうとしてくることが多々ある。おそらくウィロウが気づけないところではもっとある。
 こちらが弱ってしまっている今、追いはらうことはあきらめて、ウィロウは離れたところにある長椅子を指さした。
「じゃ、せめてあそこ行って。あんたにここにいられたら、寝づらい」
「……わかった」
 と返すが動かない。ウィロウが催促すると、シアンは片眉を吊り上げた。
「おまえが寝たら移動する」
「本当だろうな」
「ああ、約束する」
 真剣に見返してくるのがうさんくさい。もう一度念を押すか悩んで、悩むうちに眠気がひどくなった。
 寝台に倒れこむ。両手を腹の上に投げ出して、うとうとと目を閉じた。ふいにシアンが手を握ってきたのを感じる。ウィロウより体温の低い手は心地よかったが、やはり離れる気がないな、と思って、文句を言うかわりに小さく息を吐いた。
 次に目を覚ますと、窓から西日が差していた。食事は片づけられて、新しい水差しとグラスが置かれている。シアンはウィロウの身体にもたれかかるようにして眠っていた。
 とっくに読み終わったらしい書類は、食事が置かれていた卓の上に放られて、あちこちに本の束が散らばっている。
 規則正しい寝息が聞こえた。ウィロウが身体を起こしてもまだ眠っている。タヌキ寝入りかもしれないが、ウィロウには区別がつかない。
 呼びかけずに見つめた。安心しているように見えて、起こすのをためらった。しばらく待っても、やはり目を覚まさなかった。
 そっと寝台から出る。ほとんど横たわっていたシアンの、膝裏と肩に手を差し入れた。引き寄せて密着し、少しだけ浮かせる。ぎりぎり、なんとかなりそうだ。
 ぐっとひと息に力をこめて、持ち上げた。シアンがもたれかかってくる。とても重い。建材よりもずっと、なによりも重い。落とすことも、ぶつけることもできない。ふらふらしそうになるのを堪えて、どうにか離れたところにある長椅子まで連れてきた。
 ゆっくりとおろして、息をつく。汗をかいていた。シアンはまだ眠ったままで、緊張していた手が今になってふるえた。のんきな寝顔をつねりたくなって、かわりに、ウィロウの使っていた布団を一枚被せることにした。
 軽くなった寝台に戻り、水を一杯だけ飲んで、もう一度眠ろうと横になる。だるさがましになっていて、熱は下がったかもしれない、と思えた。


 シアンが散らかしていった本のひとつを読んでいるうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。
 部屋はすっかり暗くなっていた。結局一日寝て過ごしてしまったようだ。もうこのまま朝まで眠るか、水道省に戻るか考えながら、寝返りを打とうとした拍子に、なにかが手に当たった。
 すべらかな肌と、やわらかい髪。あまりにも慣れた感触で、ウィロウはおそるおそる視線をおろした。シアンが入り込んでいた。それも、今度はウィロウにぴったりくっついて、完全に寝具のなかにいる。
 ウィロウの話なんて、なにも聞いていない。
「……おい。ちょっとあんた、起きろ」
 ウィロウが揺さぶると、シアンは薄っすら目を開いた。何か用、と言わんばかりの無表情の額を弾く。「やめろ」と文句が返ってきた。
「わざわざ運んでやったのに、なんで入ってくるわけ?」
 苛々した声が出る。怒鳴りそうになるのをがまんして、シアンに顔を近づけた。
「おれ、ビョーニン。わかる?」
「わからない」
 腹立つ。頬をつねった。薄い皮ふはわずかに引っ張るだけで止まって、「やめろ、ウィロウ」と先ほどよりはっきりした拒絶が飛んでくる。大きいため息が出て、手を放す。シアンのほうから顔を近づけてきた。
 キスをしそうになって、思わずシアンのくちを手で覆う。シアンは少しだけ目を見開いた。
「シー、むこう向いて」
「いやだ」
「おれにそっぽ向かれたい?」
 シアンが向かないならそうするしかない。ウィロウが本気で言っていることを理解したのか、シアンは億劫そうに背中を向けた。なだめるつもりで首すじへキスを落とすと、「くちがいい」とわがままを言われる。「明日な」と返事してしまって、ごまかすようにもう一度軽くキスをした。
 熱は引いたはずなのに、布団のなかが温かい。シアンの身体に手をまわすと、上からシアンの手が被さってきた。なにかをたしかめているように、軽く握りしめられる。
 銀色の髪に顔をうずめて、もしかしたら、怖がらせたのかもしれないと思った。ウィロウの風邪ひとつで仕事を放り出してきてしまう恋人を、強く抱きしめた。

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