Fate Grand Order
なかみしらず
藤丸立香×新宿のアサシン
ハワイの夏は乾いている。着いてすぐの頃に、勤勉な後輩だったか
『ハワイの八月は乾季だから、温度とは裏腹に過ごしやすい』。なるほど確かに、日陰へ入ってしまえば驚くほど涼しい。たくさんの付箋やマーカーで色づいたガイドブックを思い出して、教えてくれたのはオルタの方だったかな、と呟いた。
人理継続保障機関フィニス・カルデアでただ一人、人類最後のマスターだった少年――藤丸立香は、澄みわたる空を仰ぎながら肩を鳴らす。若者らしからぬ小気味いい音が響くのは、つい先ほどまで机にかじりついていたからだ。
つい先ほどまで。というか。何というか。ここ数週間、と言うべきか。
「はは……さすがに、肩凝ったなあ。」
南国の気候にも負けぬ乾いた笑いがこぼれる。動いていないのがバレバレだ。誰かに見られていたら恥ずかしい。
この、ヤシの木がこれでもかと根を張る絶景のリゾート地で、藤丸とその仲間たちがやっていることと言ったら、同人誌作りである。
まずもって、藤丸もその後輩も、かの反転聖女も天狗ガールも、頼みの綱たる緑の人ですら、本を作った経験などない。ゼロからのスタートは繰り返しを数回経てもいまだ到達地点が見えず、なんかもう一年くらいハワイにいる気がしてきたぞぅ! 日本の気候とか忘れた忘れた! てな具合でいい加減に滅入ってきていた。
顔色が優れない藤丸を見て取り、仲間たちが散策へと連れ出してくれても、そのたびに何かしらのアクシデントに見舞われる。ハワイの夏は未だ明けず、サーヴァントが闊歩する街道には、変わらずヤシが青々と茂っていた。
――さて。現状はともかくとして、久しぶりの、本当に久々の単独行動だ。マシュやロビンやフロントの彼らにはちょっとだけ心配された。何となく悔しい。
とりとめもなく考える。これから何をしようか。決めかねたまま足に任せて歩いていると、唐突に腹が鳴った。そういえば昼食がまだだった。
「何食べようかな。……あ、ガイドブック、オルタに借りてくればよかった。」
ぽりぽり頭をかく。あくびをひとつ。寝不足がたたっていた。通りはずっと向こうまで続いている。高い空から差す陽が眩しい。やましいことなどないのに、太陽から隠れるように日陰を歩いていると、少し離れたところにカフェテラスを見つけた。見慣れた姿が四つ、卓を囲んでいるのがわかる。
近づいていくと、彼らのテーブルに置かれた色とりどりの酒瓶や、散らされたトランプが見えてきた。ひとりと目が合う。刺青の入った腕をぱらぱら振って、彼はにっと笑った。ハワイの陽気に負けない、底抜けに明るい声で呼ぶ。
「おうマスター! なんだなんだ、ひとりかい?」
「これは主殿。このようなところまで、おひとりでいかがなされたのですか?」
気配に聡いアサシン二名、新宿のアサシンに風魔小太郎である。彼らの声につられるようにして、こちらへ背を向けていた青髪のランサーと白髪のランサーが振り向いてきた。片方は片眉を吊り上げていかにも愉快そうな笑みを浮かべたが、もう片方はほとんど無表情のまま、しかし身体をもう少し傾けてくれる。クー・フーリンとカルナだ。
そういえば四人で喋る姿をどこかの周で見かけた気もする。ハワイでは四人行動なのだろうか。ぼうっと考えていると、いち早く上がっていたらしい新宿のアサシンが腰を浮かせて、椅子を引いてくれた。狭いところにすまんね、と謝られる。確かにこの卓に五人は多い。
「ゲームしてたの?」
「そーそー。誰が勝つだろーな? やはりここは、同じクラスのよしみで風魔の小太郎に一本かね。」
言いながら、とん、と空き瓶を卓へ置く。
なるほど、試合で勝てば飲めるし、賭けで勝っても飲めるということか。となると小太郎は。そう思ってちらりと見ると、ゲームに興じながらも彼は律儀に「僕はジュースか、皆のつまみですが。」と笑ってくれた。
観戦の体勢になった新宿のアサシンに、クー・フーリンが鼻を鳴らす。
「ったく、早々に高みの見物かあ? いいご身分じゃねえか。」
「まあな! 引きが良けりゃこういうこともある。今日はやけにツイてるしなあ。施しの英雄殿が大人しいってのもでかいかね。」
「…………。」
話を振られたか振られていないかあいまいな会話だったが、全員の視線がそれとなくカルナに向いた。カルナは黙って手札と場を眺めている。そのうちに自分へ視線が集中していることに気づき、いや気づいてないかもしれないが、マスターである藤丸へと顔を向けた。『突然場が静かになった理由と視線の意味が知りたい』とでも言いたげである。
「えーと、カルナ、今日は負けてるの?」
見かねて藤丸が助け舟を出す。問われたカルナはうなずき、無表情のまま返した。
「ああ。かれこれ四戦負け越している。」
「えっそんなに。調子悪いの?」
「賭博は運の要素が強いと聞いた。俺の調子の問題ではない。」
歯に衣着せずに言い切ってくる。いつものカルナだった。
「いやあ、さすが大英雄殿は肝の据わり方が違うな! あそこの槍兵だったらこうはいかない。そろそろ俺に蹴りが入るトコ。」
「おう。この勝負が終わった後も期待してな。」
「ご両人! 往来で切った張ったはやめてください、……と何度言えば。流石に次はBB殿にお叱りを受けますよ。」
臨戦態勢に入りそうなふたりへ、小太郎が止めに入る。そのさまを笑いながら見ていた藤丸の腹がぐうと鳴った。そういえば昼食をとるつもりで歩いていたのだ。
音を聞いていたらしい新宿のアサシンが、そーだ、と勢いよく立ち上がった。
「マスター、ちと歩くが、うまいマナプアの店があるんだ。きっと気に入る。よかったらどうだい。」
「まなぷあ? ……って?」
「饅頭みたいなもんさ。嫌いか?」
「ううん。行ってみたい。案内してもらっていい?」
「おう、任せな。」
新宿のアサシンに連れ立って、藤丸も腰を浮かせた。戦況の読めない卓を後にする。クー・フーリンが勝ち逃げかよと怒鳴ってきた。新宿のアサシンは、わざとらしく目を丸くして言う。
「おや、負けが込まなくてよかったろ?」
「てめえ。」
「わはは。お姉さん、あの青髪の怖い兄さんにエールひと瓶。」
快活に手を振って、新宿のアサシンが歩いていく。後ろから足りねえっての、と呟くのが聞こえる。
良かったのだろうか、まだ途中だったのに。そう思っていると、新宿のアサシンは速度を落として、藤丸に並んできた。彼はパーソナルスペースが狭い、というかほぼ無いので、びっくりするほど顔を近づけてくることがたまにある。その時もそれを感じて、少しだけ身構えてしまった。
緊張が伝わったのか、新宿のアサシンは並んだまま、へらっと笑って先方を指す。
「すまんマスター。腹減ってるんだろう。さっきのとこで頼んでもよかったんだが、あいつらと一緒じゃ騒々しいと思ってな。出る時はああ言ったが、あんたの好きなもんでいいんだ。何か、食べたいものはあるかい。」
「え、オレ、すっかりその、まなぷあ? 食べると思ってた。」
「あー。一応ハワイのジャンクフードではあるが、他にうまいもんもあるよお。いいのか?」
「うん。アサシンさんも美味しいって思ったんでしょ? ならオレ、そこがいいよ。」
こくこくうなずくと、ならいいが、と新宿のアサシンが眉を八の字にしたまま笑う。次の瞬間にはぱっと破顔して、ならさっさと行くか、とてきぱき先導してくれた。
道すがら、他のサーヴァントにも会う。南国が似合うサーヴァントから、なぜ南国にいるのか首を傾げたくなるサーヴァントまでさまざまだ。会話したり、寄り道しながら進んでいたらずいぶん経ってしまった。通りの途中にあった公衆電話からマシュに連絡を入れると、安心しました、というほっとした声が聞こえた。
帰りはもう少し遅くなるかも、と話すと、必要なら迎えに行くことと、せっかくの機会なので羽を伸ばされてください、というようなことを言われる。マシュにありがとうと返して、通話を切った。待っていた新宿のアサシンは、んじゃあ行きますかっと、と軽くつま先で地面を蹴る。
昼食には遅い時間になったが、チャイナタウンの中ほどにある、目的地である小さな店にはまだ数名並んでいた。混まない時間で良かったかも、と内心思った。
新宿のアサシンが入ると、店員がやけに嬉しそうに迎えてくれる。話している内容を聞くかぎり、兄さんまた来たの、とか何とか言われているみたいだった。刺青が目立つからだろうか。ショーケースにずらりと並ぶマナプアを見ていると、新宿のアサシンがたずねてきた。
「どれにする? チャーシュー、チキン、ポーク、甘いのもあるよお。」
「うーん、アサシンさんのおすすめは?」
「ん、俺かい。そうさね、ならマスター。ちっと向こう向いててくれな。」
言われるままに外を見る。海へとつながる川があって、そのそばを人々が談笑しながら歩いていた。小さな橋の上から、子どもたちが身を乗り出している。大丈夫かな、とそわそわしているうちに、新宿のアサシンは買い終わったようで、お待たせマスター、とそばへ来た。子どもたちが無事に行ったのを見届け、礼を言うと、彼はいつも通りの笑みで、さっそく食べるかと箱を揺らす。
近くのスペースに腰かける。新宿のアサシンはどこからともなく手拭きを差し出してくれた。せっかくもらったので手を拭こうとして、あちこちにたこが出来ているのを今更に自覚し、苦い顔になる。
「マスター、手、どうした?」
「うん。今ちょっと漫画描いてるからね。ペンだこ、みたいな感じ。」
「へ? 漫画? 何でまた。」
「色々あるんだけど……頼まれちゃって。」
煮え切らない返事をしてしまったが、新宿のアサシンは特に追求してくることもなく、まあ今は飯だな、と箱を開けた。中には四つほどマナプアが入っており、パッと見どれも同じに見える。どーぞと合図された。少し迷ってから、手前のものを取る。
いただきます、と告げると、彼はひらひら手を振った。
「……あ、おいしい。んん、これは?」
「お、当たりだなあマスター。チャーシューだよ。俺もそれ、好きなんだ。」
これもどうぞ、とついでに買ってくれたらしいドリンクを藤丸の前に置いてくれる。ありがたく飲んだ。新宿のアサシンの前に、飲み物はない。
ちらりと顔を見ると、彼は笑みを崩さずに、マスター、俺は気にせず食べてくれ、と告げてきた。
「アサシンさんも食べようよ。ホント美味しいよ、これ。」
言葉通り、ふわふわのやわらかい饅頭の中には、甘く煮込まれたチャーシューがぎっしりと入っていて、噛むたびに味がじわっと染みてくる。昼過ぎに焼いたばかりらしく、皮も中身もホクホクしていてとても美味しかった。
藤丸が誘っても、新宿のアサシンは全く動くようすがなかったが、主人がとうとう両手でぱかりと饅頭を割ると、焦ったように身を乗り出してくる。
「ちょ、マスター。俺はいいったら。昼にも食ったし、そもそもサーヴァントで。」
「いいのいいの。オレが誰かと一緒に食べたいんだよ。そういうの嫌?」
「嫌じゃないさ! 光栄だ。だが、何だ、あんたのために買ったのになあ。まあいいか。他でもない、あんたの頼みなんだからな。」
そう言って、彼はやけに恭しく、藤丸からマナプアの半分を受け取った。小さい方を意図してもらわれた気がする、と藤丸は思ったが、指摘せずにドリンクを渡す。彼はちょっとむせた。
「流石にそれはダメじゃねえかなあ!」
「え、そう。オレ、あんま気にしなくて。ごめんね、嫌がらせちゃって……。」
「ちが、嫌とかじゃなくて……あーもう。最初っから二人分買えばよかったのかね。ミスっちまったなあ~……。」
新宿のアサシンは困ったように眉を寄せ、受け取れない、とドリンクを手で押し返す仕草をする。追加で買いに行くかと聞くと、彼はふるふる首を振った。いくら観光地とはいえ、主人から目を離す時間を作りたくないのだろうか。
「アサシンさんは、妙に距離が近かったり、かと思うと意外に遠かったりするよね。」
「……んー? そりゃ、主人が食べてるものを頂戴するなんて恐れ多いさ。あとそもそも……いや。」
「そもそも?」
「あー、まあ理由は色々にある。」
珍しくはっきりと言いよどんだ。ごまかすように笑っているが、藤丸には今の会話が引っかかった。何か、新宿のアサシンの心のどこかに、触れられた気がする。気だけだ。わからない。もう一つかじったマナプアから、つんとスパイスが鼻をついた。
新宿のアサシンは不思議だ。同じ見た目をしているのに、新宿で会った彼と今の彼は、違う人のように思える。けれども今、ほんの一瞬だけ、両者がどこかでつながったような心地がした。
彼がふと目を逸らす。その黄緑の目が陰る。瞳の奥に、ここではないどこかが映っている。
「けど俺は、結局のところ、あんたが楽しく元気に、道を違えずやってくれりゃそれでいいんだ……。」
ぽそ、と彼は言った。風にまぎれて消えてしまいそうな声だった。
藤丸が黙り込む。沈黙が数秒落ちて、がばりと彼は顔を上げた。貼り付けたようないつも通りの笑みが、そこにあった。
「なーんてな! 杞憂杞憂、つまらん話だ、忘れてくれマスター! そんなことより飲み物だな。よーし。なあ、そこの兄さんたち! ちょっといいかい!」
彼のよく通る声に呼び止められた男たちが、怪訝な顔を向けてくる。新宿のアサシンはめげずに、あそこのマナプアを買うのかい、と尋ねた。そこから、どれが美味い、ハワイにいつ来た、どこ出身だ、まで話が一周して、見る見る間に意気投合した。
終いに新宿のアサシンが「あんまり美味くてもう一度食べに来たが、今度は自分の飲み物を買い忘れた」と面白おかしく言うと、彼らは大笑いして、買ってきてやるよと向こうから提案してくれた。
数分後には、新宿のアサシンの手には新しいマナプアとドリンクがある。男たちと別れて、これで問題なし、とばかりに彼はマナプアにかぶりついた。餡がとろりとくちびるを濡らす。
すっかり払拭されてしまった空気の名残を追いかけるように、藤丸は息を吸った。残りわずかとなったマナプアが箱におさまっている。次はどの味だろう。きっとこれを食べつくしても、どれがどのマナプアか、藤丸にはわからないのだろう。
新宿のアサシンがささやいた。マスター、チャーシューのマナプア、半分お返しな。まだ口も付けていないマナプアが器用に割られて、やはり大きい方が渡される。中にはぎっしりチャーシューが詰まっていた。
「ありがと、アサシンさん。」
礼だけ言うと、彼は事もなげに笑い、少しだけ背もたれに背を預けた。