メギド72

嵐のなかで
バルバトス&副官

 でたらめな音階が繰り返される。そのへんの木材を並べて組んだと言わんばかりの粗末な屋根の下で、バルバトスはオカリナを彫っていた。
 彼は今、メギド体ではなくヴィータ体だ。小さな手づくりの笛を後生大事に抱えて、ランプの灯りをたよりに矯めつ眇めつ、口をつけて音を確認してはまた彫る。しばらく続けてふいに、くそ、と唇を噛んだ。
「高くなりすぎだ。なかなかうまくいかないな。」
 調律は難航していた。望んだ音を出したくとも、数ミリの違いで響きがズレる。粘土製なら埋めなおせばいいが、木製になると途端に駄目だった。がりがり頭を掻いて、木の塊になってしまったものを放った。次の原木を取る。
 あたりには同じようなオカリナの残骸が散乱していた。その一つを、こつん、と蹴り飛ばす足がある。甲虫にも似た巨大なメギドがこちらへとやってきていた。
 バルバトス団長、と呼びかけてくる。彼はバルバトスの部下で、バルバトスが率いる軍団の副官だった。
「なあ、マグナ・レギオから召集が来たぞ。」
「……召集?」
「ああ。こっちの準備はできてる、今すぐにでも。」
「ふーん……。いや、いい。またにしてくれ。」
「はっ? どうして。失った武勲を取り返す、またとないチャンスだろ?」
 副官は断られたことを心底驚いたようすで、バルバトスをまじまじと眺める。対するバルバトスは彼の顔をちらっと見たきり、すぐ木彫りの作業へ戻ろうとしていた。積み上がった木くずが、湿った風にさらわれて、副官の身体にまとわりつく。それらをうっとおしげに払いのけ、彼は更に一歩、バルバトスに歩み寄った。
「……あんた、ちょっとおかしいぜ。あのメギドに会ってから、戦争もせず一年以上も……。はじめはただの気まぐれかと思ってたが、そうじゃない。このままじゃ、あんたは……。」
「……もう少しだけ待ってくれよ。これじゃ駄目なんだ。まだ欲しい『音』にならない……。」
 言いながら、バルバトスは目を閉じる。響かせたい音をイメージした。
 それは、メギドラルを吹き抜ける風だ。嵐の物々しさだけでなく、木立をそよがせ果物を揺らし、香りを運び、陽射しをまとって大地を撫でる、凛とした命の息吹。それをおとにしたくて、バルバトスはこの数か月、ずっとオカリナを彫っていた。『彼女』からいつまでやってるのかと笑われてしまうほど、ヴィータ体の指先をボロボロに汚してまで、延々と。
 楽しかった。敵を殺し、己の力を示すだけの争いごとよりもずっと、この試行錯誤がたまらなく楽しい。本音を言えば、もう戦いなんてどうでもよかったのだ。いぶかしがる副官の視線から逃げるようにバルバトスは顔をそむけた。
「……。今回の召集は、断るよ。あんたが乗り気じゃないなら、バルバトス軍団は動かない。」
「ああ、すまない。頼む。」
「だが、次は! 次こそは来てくれるよな? そうだろう、軍団長?」
「…………。」
 バルバトスは答えなかった。重い沈黙が両名の間に落ち、副官は顔に深い皺を刻んだ。苛立ち、困惑するように、彼は鋭いかぎ爪で大地をガリガリと削り取っていく。
 やがて、副官は踵を返した。バルバトスは彼の姿が完全に消えてから、長い息を吐く。
 雷鳴が近づいていた。脆弱なヴィータの体を撫でる。屋根の強度をたしかめるべく見上げて、空のうす暗さに気づく。
 ひと雨きそうだとつぶやいて、体を冷やさないよう、バルバトスは首もとを締めた。

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