メギド72

着込む理由
R-18/モブ×バルバトス←ソロモン

 女性に声をかけられることが前より増えた。と、さも困ったかように話す整った横顔を、一行は各々バラバラな表情で見つめた。
 酔いが回って頬をほのかに赤らめたバルバトスは、言葉とは裏腹にひどく楽しげだ。酒場で流れるリズムに合わせて今もステップを踏んでいる。給仕の女性が、詩人さん次の歌は、と催促するのに手を振って、彼はテーブルのグラスを一息に呷った。すぐさま壇上へと帰っていく。
「調子に乗りすぎ。また吐かなきゃいいけど。」
 じっとりとした目でウェパルが言う。バルバルがノリノリー、とシャックスも笑った。
 再召喚リジェネレイトを経たバルバトスは、たしかに前よりも受けがよくなった。どちらかと言えばかっちりとしていた以前の服装と比べると、首元も袖も明け透けで、なめらかな肌や浮き上がったすじがよく見える。親しみやすさが増している、と言えば聞こえはいいが、隙が多くなったとも言えた。
 そのくせ、歌う詩には蜜のような優しさだけでなく、心を躍らせる嵐にも似た抑揚がくっきりとついて、ますます惹き込まれる語り手になった。おかげで連日盛況だ。稼ぐ日銭も増えたぶん、出ずっぱりのバルバトスの瞳は、今もどことなく危うげだった。
 ソロモンはそれを眺めながら、ちびちびと果実のジュースをすする。テーブルに肘をついてモラクスが大きなあくびをした。お前らもう寝ろ、とブネが指で示す。
「終わるのを待ってたら日が白むぞ、こりゃ。」
「ええ。そうさせてもらうわ。」
「俺もねみぃ……アニキ、寝よーぜ?」
「あ、うん……いや、ごめん、モラクス。俺、もう少し起きてるよ。」
「はあ? オマエあれに付きあう気かよ。明日寝ぼけてけっつまずいて、怪我しても知んねーぞ。」
 面々が続々と席を立つなかで、隣に座っていたバラムが自分の杯を飲み干して呆れたように言った。こけたりしないって、と返すと、どーだかと肩を竦められる。言い合いになりそうだったが、その前に次の歌がはじまったので、そこそこで切り上げろよ、という言葉を最後にバラムたちは宿屋へ向かっていった。
 卓を囲むのは、まだ飲み足りないらしいブネと、長居には心もとないジュースを抱えるソロモンだけだ。歌はしだいに盛り上がる。学のないソロモンにでもわかる、胸が沸き立つ冒険譚。耳に残り、心へと染み入る音楽。大衆酒場で披露されるには勿体ないとすら思えてしまう。それでいて、かつ、これ以上ないほど相応しい舞台に感じる、聞き惚れる物語だ。
 やがて、歌が終わる。歓声に応えるバルバトスの足取りが、少しふらついていた。心配になって腰を浮かすと、店の従業員らしい男が肩を貸すのが見える。何か話してから外へと歩いていく。
「ありゃ吐くな。」
「大丈夫かな……。」
「ほっとけ。強くもねえのに弁えねえ奴が悪い。」
 オマエは早く寝ろ、とうっとおしげに手で払われて、ソロモンは眉を寄せた。


 涼しい空気と満天の星空に、バルバトスは気を良くした。酒場の喧騒もなじみ深いが、夜の闇を静かに照らす星々を見上げていると、心が雪がれるような心地よさがある。知らず微笑むと、彼に肩を貸していた男がおもむろに暗がりへと引き込んだ。
 積まれた木箱らしきものに座らされる。かと思えば、顔を近づけられた。
 詩人さん、あんた、きれいな髪だな。耳元で聞こえる声に、バルバトスはひそやかに瞬く。
(ああ……、そういう。)
 袖口から肌を撫でる節くれ立った指の不快感。覆い被さってくる体格差をかんがみて、抵抗するタイミングを計ることにした。幸い、酒場からそう離れてはいなさそうだ。
(ブネがまだ飲んでるだろう。お代をもらってないから、払えないもんな。)
 つらつらと考える。獣のような吐息や、押し当てられる醜く膨れた性器や、急いたように肌を舐めてくる生臭い舌から、意識をそらすように。ぼうっとしているように見えただろうバルバトスへ、男は奉仕を強要するように一物を寄せてきた。
 気持ちが悪い。行為が、ではなく。合意のないままに己の欲のみを貪り、相手を蹂躙し、辱めようとするこの男の心根が。アルコールの酩酊に押し上げられるように痙攣しだす胃を押さえた。どう言いくるめて逃れるか。頬に押し当てられる性器を払いのける覚悟を決めて、腹に力を入れたところで、何やってるんだ、というまっすぐな非難が聞こえた。
「アンタ、バルバトスに何して……って! うっ、何てことして、」
「あぁ!? うるせえ、ガキが! 口出すんじゃねえ!」
「っいいや、言わせてもらう! バルバトスに……俺の仲間に、ヘンなことしようとするなよ!」
 ソロモンだった。肌も髪も黒い彼はすっかり夜に紛れて、輪郭と瞳のかたちしかわからない。白く浮かぶ彼の眼が、戦場で敵と相対したときのように見開かれ、怒りに燃えているのがわかった。
 悪事を暴かれた男が、腹いせにソロモンへ殴りかかろうと拳を固める。バルバトスはとっさに足を伸ばした。上手い具合に、助走をつけようとした男が引っかかる。派手にすっ転んだのを見届けて、壁伝いに立ち上がった。
「ソロモン、宿まで走れるかい。酒場でもいい。」
「バルバトスも来るんだ!」
「俺は、この人と話をつけてから行くよ。」
「ダメだ!」
 駆け寄ってきて、手を引かれる。同じぐらいの背丈のソロモンに支えられて、足をもつれさせながら走った。そう遠くまで行けそうにない。男が追いかけてくる気配を感じ、バルバトスは路地に身を寄せた。濁った怒声が近づき、ほどなくして遠ざかる。
 べったりと付いた汚いものを拭おうと手を伸ばしたところで、ソロモンが声をかけてきた。
「……バルバトス。」
「ん。ありがとう。」
 ハンカチを差し出される。
 我らが若き王は、他者を尊重するための労苦ならまるでいとわない。飾り気のない布地が彼らしかった。受け取り、男の体液を拭うと、ようやく人心地つく。
「アイツ、何でバルバトスのこと……。」
「さあね。いけると思ったんだろう。」
「だから何で……っていうか、バルバトスも。嫌だったんだろ? 蹴ってやればいいのに。」
「まあ……一応、場所を借りてる身だしな。」
 ソロモンがはっと息を吞む。あの男は店で働いていた。ともすれば難癖をつけられるかもしれない。
 理解し、自分の軽率さを悔いるように肩を落としたソロモンを見て、バルバトスは笑った。曲がってしまった王の背を撫でて、平気さ、と歌うように言う。
「何も言えやしないよ。俺の詩は最高だったろ。けちのつけようがないさ。」
「そうかもしれないけど……。なあ、バルバトス。飲み過ぎは良くないよ。」
「おや、その方向で小言が来るか。」
「茶化すなよ! 俺は、」
「わかってるよ、ソロモン。心配をかけてすまない。」
 覚めてきた感覚を頭で味わいながら、バルバトスは詫びて、ハンカチを丁寧に折りたたみ、懐にしまった。何だか白けてしまって今夜はもう歌えない気分だ。いまだバルバトスを案じているらしいソロモンの、所在なく添えられた手が、薄い布越しに感じられる。宿に帰ろうか、と口に出すと、あからさまに安堵の吐息が聞こえた。
「……どちらにせよ、一旦酒場に戻るよ。ソロモン、キミは……。」
「俺も付き添うよ。ここまで起きてたら、どっちでも一緒だろ。」
「そ、ならありがたい。キミがいれば、さっきの奴が来たって問題ないさ。」
 何ならメギド体になって、一曲披露してやってもいい。冗談めかして微笑むバルバトスに、ソロモンは困った顔をした。
 さめざめとした月明かりが、酔いどれた吟遊詩人の美しい顔を照らしていて、それが綺麗だと思えるからこそ、ソロモンには危惧がつのるのだ。
 千鳥足で酒場に辿り着くと、ブネはいつの間にか店と交渉を終えて精算を済ませていたらしく、ソロモンたちを探しに出てくるところだった。少年に支えられる情けない仲間の姿に、何やってんだ馬鹿、とひとこと正論で殴る。
 バルバトスが謝るのを待たず、彼がソロモンからもぎ取るようにバルバトスを雑に支えて、一行は帰路についた。
 数日後、ハンカチを返しにたずねたソロモンの自室で、バルバトスは首から下まで採寸を受ける。何事かと首をかしげるとソロモンは言いづらそうに、もう少し締めた服の方が似合うと思って、ともごもご言った。
 すぐさま合点したバルバトスは、ありがとう、と陽気に笑いこそしたが、内心少し胸を痛めた。

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