メギド72
物語るもの
R-18/モブ(ストラ)×バルバトス
楽器職人であるストラのもとへ『彼』が訪ねてきたのは、ずいぶん前のことだった。
吟遊詩人を生業として、街から街へ旅をするその日暮らしの生活を、もうずっと続けているのだと言う。風に透けそうな細い金髪と、澄んだ碧眼の美しい青年だった。日ごろ楽器作りにかまけて、客人の前だというのに無精者丸出しの格好でいるストラへも、丁寧に目を合わせてくる。ゆっくりとした調子で、彼はバルバトスと名乗った。
『楽器がほしいんだ。あなたの作る楽器が。』
柔らかに微笑みながら銀貨の包みを差し出してくる。他の街でストラの楽器を奏でる楽隊に会い、その音色に惚れ込んだのだと、やけに熱っぽく語った。だがストラの方では、行きずりの旅芸人風情が、と斜に構えていたのもあって、やや身を引き突っぱねるように返す。
『こんなはした金で足りるかよ。諦めな。』
『あ……すまない、待ってくれ。』
言ってすぐ、戸の奥へ引っこもうとしたストラの手を、白い指先がつかんだ。その仕草がやけに艶めかしく感じて振り払う。放された手に傷ついた様子もみせず、どこか困ったような表情を浮かべて、彼はこちらをうかがうように瞬いた。
『値段が見当違いだったのは謝るよ。もっとかかるなら、必要なだけ持ってくるさ。どうしてもあなたの楽器がいいんだ。』
『……「物好き」なヤツだな。まあいい、だったら……そうだな。この三倍は要るが、オマエに払えるのか?』
『うーん……すぐには難しいけど。しばらくこの街で厄介になるから、そこで稼いでくれば、なんとか。それじゃダメかい?』
少し考えた後に提案してきた。
吟遊詩人が毎日の公演で稼ぐ金額など高が知れているだろう。宿に泊まる金も心もとないだろうに、とそこまで考えて、頭を振った。どうせ赤の他人だ。払えないとわかれば去っていくだろうし、もし払えたならその時には客として扱えばいい。ストラは鼻を鳴らし、好きにしろ、とだけ言った。吟遊詩人は鮮やかに笑い、ありがとう、と返してくる。その日はそれで別れた。
数日後には、見目の良い吟遊詩人がやって来たことが街ですっかり噂になっていて、ストラはやや辟易した。もっとも、出歩くのは買い出しのときだけだ。バルバトスとすれ違うこともなく、それから一週間が穏やかに過ぎた。
ストラの頭の中から、少しずつ金髪の影が薄れてきたところで、再び彼が訪ねてくる。
『ストラさん。いるかい。』
『なんだ、まだいたのか。』
『そりゃあいるさ。楽器を頼むって言ったろ。上がってもいいかな。』
答えないでいると、すっと軽やかに戸が開かれて、家にバルバトスが入ってきた。
以前とさほど変わらぬ出で立ちで、何やら両の手に大きな袋を抱えている。彼は、机にかけてある大小さまざまなノミや、薬品の類をちらりと眺めて、まだしも空いているところへ袋を置いた。何だそりゃ、とストラが訝しがると、どこか得意そうに、もらいものでね、と人差し指を立ててくる。
『なるべく早く召し上がれ……って言われたんだけど、俺ひとりじゃ食べ切れなさそうだから。よかったらストラさんもどうかなって。』
『はあ……? なんで俺が、オマエと飯を食わなきゃならねえんだ。』
『まあまあ、せっかくだからさ。台所、少し借りていいかな。』
『……ったく。よそ者ってのはどいつもこいつも、変わり者ばっかりだな。』
『その答えはイエスと受け取るよ。』
ぱちっ、ときれいにウィンクしてみせて、彼は袋から果物を取り出した。ほのかに甘い香りがただよう。ランプの明かりでツヤツヤと照るのを、ずいぶん嬉しそうに眺めた。ストラがぽそりと、本当に変なヤツ、と呟くと、彼はふっと笑ってみせる。青年にしてはあまりにも達観した笑みだった。
彼が作った果物のケーキを前に、買ってきたらしい葡萄酒で乾杯する。思ったよりたくさんできてしまった、明日にでも街の人に配ろうかな、などと言いながら、彼は余った果実をぱくぱくと食んでいた。アルコールに浮かされた頬へ赤みが差している。ストラはいまだにバルバトスを警戒していたが、彼の作ったケーキは素朴ながらしっとりとして、母がこしらえる家庭料理のようなあたたかさが感じられ、しだいに、この分ぐらいは彼を認めてやってもいいのではないか、という気になった。
『なあ、バルバトス。オマエはなぜ吟遊詩人なんかやってる?』
杯を傾けながら尋ねる。バルバトスはうーん、と軽くうなった。フォークの先をくるりと一周させて、そうだな、と口を開く。
『それが一番良かったんだ。ひとつのところに留まるよりも、色んな場所へ行って、人や、音楽や、まだ見たことのないもの……知らないもの……そういうものに触れたかった。どうすればできるか考えたとき、最初に候補に挙がったのが、これってわけさ。』
つまりは性に合ってるんだ、と続けて、彼は視線をストラの方へ向けた。弧を描く口もとから問いが発される。
『ストラさん、あなたはどうして楽器職人を?』
『あん……? 俺か?』
『ああ。どんな経緯でこの仕事を始めたんだい?』
『経緯も何もねえよ。親父が楽器職人だったから、それだけさ。こんな小せえ街じゃ他に仕事もねえ、街を出る気もなかったしな。それに……楽器作りは、わずらわしいこともねえ、やればやるだけ良いものが仕上がる。オマエの言葉を借りるわけじゃねえが、俺も性に合ってるからこの仕事をやってるんだ。』
言っているうちになぜか気恥ずかしくなってきて、ストラは無意識に頭を掻いた。慣れない自分語りを披露するストラへ、バルバトスはやけに優しく微笑む。思わず、何か可笑しいか、と突っかかるように聞いてしまうと、彼は芝居がかった動きで肩をすくめた。
『いいや。ただ、街のみんなの言葉を思い出してね。』
『……フン。陰口でも聞いたか?』
『まさか。……あなたは街でも指折りの職人だと。この小さなテノルの街に、荒野を越え森を越えて、あなたの楽器を求めに来る数多の奏者たち……王都の使いたち。それらがとても誇らしい、とみんな口を揃えて言っていたよ。』
バルバトスの語り口は、まるでよくできたおとぎ話を聞いているような気分にさせる。彼の聞かせた話が己の評判だと理解するのに、ストラは少しだけ時間を要した。わかってしまうと、ますます照れがつのって、むっつりと押し黙ってしまう。ともすればしかめ面に見えるストラの表情を、バルバトスの穏やかな瞳が映した。またたき、葡萄酒を注ぎながら、彼はまた口を開く。
『俺もそう思うよ。街のみんなの誇りであるあなたの楽器が、どうしても必要だ。頼めるならばぜひともあなたがいい。』
『……持ち歩くつもりか? 街から街へ。』
『ああ。その音色を、もっと多くの人々へ届けたいからね。』
『…………。』
残りわずかになった葡萄酒を揺らして、最後の一杯を、とストラの杯を満たしてくれた。器に盛られた果実やケーキもなくなりかけている。宴が終わってしまう気配に、ふと物悲しさを覚えたが、それを口に出すのははばかられて、ストラは黙々と皿を片付けた。
彼は切り分けたケーキを袋に詰め直し、空いた酒瓶を手に、ストラの家を後にしようとする。戸を開けたところで雨音が聞こえた。
ぽつぽつ落ちはじめたしずくは、すぐにその音を強めていく。あらら、と苦笑したバルバトスが、どうしたものかと言うように眉をひそめるのを見て、自然とストラは提案した。
『泊まっていくか?』
『……この家に? かまわないのか?』
『……オマエがそこいらにベタベタ触らねぇってんならいい。』
『ありがとう。もちろん、触ったりはしないから。』
バルバトスは一転、晴れやかな笑みを浮かべて、流れるように戸を閉めた。雨音が遠くなる。
客人用のベッドはないため、必然的にストラの寝室へ案内することになるのだが、バルバトスがそれに動じることはなかった。
彼は興味深そうに、家じゅうに置きっぱなしの図面や、切り出したままの粗削りな木材、形を成しはじめた響板などのパーツを、しげしげと眺めている。約束どおり触れることはなかったが、いかにも楽しげに瞳を輝かせているのが不思議だった。
狭苦しい部屋の大半を占める寝台へ、バルバトスを座らせる。彼は小首を傾げて見上げてきた。
『ベッドをもらってもいいのかい。ストラさんは?』
『俺はまだ起きてる。先に寝てろ。』
『いやあ、さすがに泊めてもらう身でそれは……。』
遠慮するように腰を浮かせるバルバトスを押さえ付け、無理矢理にシーツをかぶせて、ストラは部屋を出た。
居間へ戻ってくると、甘い香りが残っているのに気づく。長く嗅いでいなかった匂いだ。家に他人を泊めることもそうない。バルバトスの巧みな話術や、距離の取り方のうまさに、すっかりしてやられた気持ちだった。まさにこれが吟遊詩人の技なのか、と漠然と思いながら、取りかかっている最中の図面を手に取る。
線を引き、長さのあたりをつけているうちに、いつの間にか「バルバトスが持つならどう作るか」考えている自分に気づき、諦めたように息をついた。
雨音は密度を濃くして、寄せては返す波のように、途切れることなく屋根を打つ。しだいにまぶたが重くなってきた。切り上げることに決め、寝室へと帰っていく。
果たして、バルバトスはベッドに横になっていた。装飾品の類は外して、壁際のぎりぎりまで寄り、やや背を丸めている。寝息は静かだったが、ストラが数歩近づくと、もぞもぞと動いて顔を上げた。
『ストラさん……。すまない、もう出るよ。』
『いい。狭いが、寝られないほどじゃねえ。』
『えっ、でも……。』
彼の横へと入ると、ベッドはすでに温もっていた。バルバトスは数瞬戸惑ったが、すぐに受け入れて端へ寄ってくれる。横たわると、隣で広がる金髪から、不思議といい香りがした。女のようだ、とすら思った。
『なあ、バルバトス。オマエに楽器を作ってやる。』
『……本当かい。よかった。ああ、けど、まだ代金が貯まってないんだ。』
『バカ、ありゃふっかけただけだ。材料費なんてそうかからねえよ。調整には時間が要るが……それでも一年もありゃいい。あの銀貨で足りてるさ。』
闇のなかで、バルバトスが目を丸めたのがわかる。青い瞳がまっすぐにこちらを向いた。悪かった、と言うと、彼は笑って首を振った。
『よかった。正直、俺の稼ぎじゃ払えるのは相当先だったから。』
『フン。作っておいてやるから、オマエはいい加減、他の街に行け。オマエの歌を待ってるヤツがいるんだろう?』
『そうだな。そうするよ。……ありがとう、ストラさん。』
バルバトスが体をこちらへ向けてくる。鼻をくすぐる香りが心地よく、彼の浮いた鎖骨や、首すじが、やけに色っぽかった。そう思ってしまうと、とたんに彼が「そういう」対象に見えて、慌ててストラは背を向ける。ベッドから落ちそうなほど遠ざかろうとするストラを、バルバトスはそっと引き寄せた。
落ちてしまうよ。耳もとで囁かれる声に、かっと頬が熱くなる。硬くなりだした股間に、ストラは冷や汗を垂らした。ストラさん、と訝しげに呼ぶバルバトスが、相手の様子をじっと見て、合点したように目を細める。そして、身を寄せてきた。
ぴったりと、胸板が押しつけられる。人肌の生々しい温かさが、皮膚を通して骨の髄まで染み込んでくるように感じた。バルバトスは緩慢に手を伸ばし、ストラの下半身を撫でてくる。おい、とようやく上げた抗議の声は、想像以上に弱々しかった。
『大丈夫だよ。』
『大丈夫って、なにがっ……、』
『人恋しいんだろう? あなたも。』
ふふ、という笑い声は、糖蜜のように甘く、ひそやかで、悪魔の囁きじみていた。
驚くほどによどみなく、バルバトスの手がストラのものを探り当てる。下着の中まで入りこみ、輪を作って直接扱いてきた。先走りをすくいとっては、亀頭全体へ塗り広げて、根元から扱き上げる合間に優しく指をすべらせてくる。娼婦顔負けの巧みさに、ストラは何も言えなくなり、ただバルバトス、と名前を呼んだ。美しい吟遊詩人の横顔が浮かんでは消えて、下を見れば白い腕が、前後する動きをゆっくりと繰り返している。
大丈夫、だいじょうぶ、と聞こえる声は、ゆったりとした歌のようだった。あっという間に張りつめていく。ストラの荒い呼吸だけが部屋に木霊した。バルバトスが持つ見事な金髪の、細かな毛先がうなじを撫でてくる。赤子をあやすようだった繊細な手つきは、ストラの吐息に合わせて少しずつ、その速度を増して、いつしか湿った水音を響かせるまでになった。
バルバトスのまとう香りが、身体を包むようにして押し寄せる。かたく目を閉じて、快感に集中した。彼の指の腹が鈴口を器用にくすぐり、裏すじへと抜けていく。擦り上げられるとみっともなく腰が浮いた。彼はそれに笑いもせず、いっそう身体を寄せて、ストラを抱きしめてくれる。
押し当てられる彼の下半身が、少しも反応を見せていないのが、ストラにはやるせなかった。
一物がはっきりと脈打つ。射精の予感に低くうなると、バルバトスは意を得たようで、仕上げとばかりに強く扱いた。精液が放たれる瞬間に、彼の手のひらが先端へと回り込む。飛び散るものを全て受けとめられながら、身を震わせるストラを、バルバトスは見下ろしていた。
やがて、飛沫が収まったのを確認し、バルバトスがそこから手を放す。冷やりとした空気に触れて縮むような心地がした。出したばかりの精液が、彼の手の上で溢れんばかりに揺れていて、こぼさないよう慎重に身を起こす。
ストラもいそいそと身を起こした。彼は乱れた髪を耳にかけてから、安心させるように笑う。
『気持ち良かったみたいで何より。何か拭くものをもらってもいいか?』
『……オマエ、誰にでもこんなことするのかよ?』
ストラはまるで忌々しいとでも言わんばかりの物言いになっているのに気づき、慌てて首を振った。ちがう、と狼狽えながら続ける。
『あのな……オマエが「その手のヤツ」じゃないのはわかる、わかるから……ああいう時は放っときゃいいんだ。俺がオマエに襲いかかったらどうする。若い身空で、誰彼構わずちょっかいかけるのはやめときな。あと、年上をからかうもんじゃねえぞ。』
『……、……。んー……それは、悪かった。すまない。謝るよ。』
頭の回転が速いバルバトスには珍しく、返答にいくばくかの間があった。そのすきに、ストラは使い古しの手巾を引っ張り出してきて、やや乱暴にバルバトスの手を拭き取る。手のひらから白濁が失せたのを確認し、ストラはそれを丸めてくずかごへ放って、外した。
舌打ちをしてベッドから降りる。彼の挙動を、寝台からバルバトスは眺めた。片膝を立て、手に顎を乗せて、考えるようにあいまいに笑っている。
『謝らないでいいから、気をつけろ。』
『ああ、うん……でも俺、たぶんストラさんが思ってるほど、若くもないぜ。』
困ったように彼は言う。それが、ストラには誤魔化しか、照れ隠しに思われた。子どもにするように彼の金髪を上から押し潰し、ぐしゃぐしゃとかき乱す。せっかく整えた髪を崩された彼はというと、どこか気まずそうに一瞬視線を逸らしてから、いつも通りの笑みに変わって、もう何も言わず、そのまま布団へ潜った。
翌日の朝、バルバトスは書置きと銀貨の袋を残し、ストラの家を早くに発った。これ以上話すと良くないか、と思っての行動だったが、街を出る前に子どもたちへケーキを配りに行くと、まだ行かないでと引き止められてしまい、しかたなく一曲だけ歌っていくことにした。
大昔の天使と悪魔の神話、天使の国と悪魔の国の話を、寓話らしく脚色した物語。子どもたちが目を輝かせて聞いてくれるので、バルバトスもつい興が乗って、いくつか披露していると、遠くから近づいてくる影があった。
ストラだ。子どもたちが彼を認めて、ストラおじちゃんだ、どうしたの、と声をかけてくるのに、ひどく大儀そうに手を振った。一区切りつけたバルバトスが笑みを張り付けて近づくと、ストラは腕を組み、もごもごと口を動かしてから、言った。
『オマエ、悪くない声をしてるな。』
『……ふふっ。そういえば、ストラさん、初めて聞きに来てくれたな。』
『音はオマエの声に合わせる方がいいだろう……今ので大体わかったさ。じゃあな。しばらくしたら来い。』
ぶっきらぼうに言うと、ストラはバルバトスに何かを投げて寄越す。開けてみると、干しブドウか何かが詰まっていて、彼の不器用なやさしさに、バルバトスは礼を言った。
『ありがとう。……また来るよ。』
『ああ。……オマエの道ゆきに、恵みの光あらんことを。』
『うん――定住者に、大地の恵みあらんことを。』
バルバトスは一言一句丁寧に、美しい声でそう告げた。
それからすっと背を伸ばし、すまないけどそろそろ行くよ、と子どもたちに詫びる。ええ、と足もとへ寄ってきた子どもたちを、街の大人たちが引き剥がすようにして放した。バルバトスは手を振って街を出ていく。来たときと変わらぬ軽装で、そよ風のように去っていく彼と、彼の聞かせた物語は、それから後もずいぶんと長い間、街で話の種になった。
*
ほんの数日で住人のほとんどが消えたテノルの街へ、今、避難民が集っていた。
アリトンの的確な誘導により、人々に大きな混乱もなく、ソロモンたちの先導に従って彼らはもとの住処へと帰っていく。しかし人数が多いのもあって、何往復かした後に、残りの者たちは明日送ろうという話になった。
メギドたちの一部が残り、ソロモンはアジトへ帰還するという手筈だったが、ポータルへ向かおうとしたところでバルバトスが声を上げる。
「あーっと……、すまない、ソロモン。俺も今晩はテノルに泊まるよ。」
「えっ、大丈夫なのか? 怪我とか。」
すっかりいつもの旅の仲間と帰る気でいたソロモンが、びっくりしてバルバトスを振り返る。幻獣に襲われて怪我を負ったと聞いていた。まだ病み上がりだろう仲間を置いて街を去っていいものか、とソロモンはしばし逡巡する。バルバトスはそんな王を見、それから仲間に加わったばかりのサタナイルを見て、申し訳なさそうに眉を下げた。
「怪我は彼女に看てもらったからね。ただ俺、この楽器、何も言わずに持ってきちゃったし。」
「それ、貴方のものではないの……?」
サタナイルが不思議そうに首をかしげる。彼女の「耳」で聞くかぎり、楽器の音色は限りなくバルバトスの声調に合うよう設えてあった。職人の手によるオーダーメイドであることは疑いようがなく、必然的にバルバトスのものに違いないと思っていたが。
サタナイルの疑問を見透かしたらしいバルバトスが、いや俺ので間違いはないんだが、と前置きする。
「けっこう前に頼んだきり顔も見せてなかったからさ。代金は払ってあるけど、さすがに礼ぐらいは言いたくて。」
「ふうん……。でも、無理はするなよ。何なら夜に呼ぶぞ? アジトで寝た方がいいんじゃないか。」
「はは、大丈夫だって。今回は色々心配をかけたけど、明日からはまた、キミの旅に音楽と物語の華を添えるよ。だから、それまではね。」
クスッと笑いながら、冗談めかして言うバルバトスに、ソロモンは何か言いたげだった。が、他の仲間たちが帰るぞと急かすのに、諦めたように頭を振る。明日の何時に来るかを改めて示し合わせ、彼らはアジトへと戻っていった。
サタナイルの高い背が、横を歩く小さなクロケルに合わせて少しだけ曲がるのを、バルバトスは眩しそうに見つめる。光景の美しさを味わうようにゆっくりと瞳を閉じ、それから切り替えるように見開いた。記憶にある、ストラの家へと歩いていく。
幻獣たちに壊された形跡もなく、初めて訪れたときと変わらないそこは、窓からほのかな明かりが漏れていた。バルバトスが戸を叩き、名を告げると、ほどなくして扉が開く。
アルコールの濃いにおいがした。荷造りしたようすがない部屋に、バルバトスはストラから見えないところで眉を寄せる。
「ストラさん、久しぶり。楽器、勝手に持っていってしまってすまない。とても良いものを作ってくれてありがとう。」
「ああ……。オマエ、まるで変わらねえなあ。いや、ちょっと変わったか? 雰囲気が。」
ストラはひどく酔っていた。無理もない。街の賑わいや、人々の温かさを覚えているバルバトスからすれば、彼の心境が複雑だろうことは火を見るよりも明らかだった。バルバトスがかたわらに腰かけると、彼は震える手で酒を勧めてくる。バルバトスはそれを受け取り、静かに傾けた。
「ストラさん……。これからどうするつもりだい?」
「どうするって、オマエ……そりゃ……。……ここに残るさ。今更他の地に行って、どうこうするって話にゃならねえ。」
「いいや。明日なら、外の人たちと一緒に、別の街へ行くことができる。俺もあなたを送っていけるよ。俺は、あなたにそうしてほしい。」
「……。……って言ったってよ……。」
ストラは頭をかいた。その後ろ髪に、白髪が混じりはじめているのを、バルバトスはぼんやりと見る。
ヴィータの老いは川の流れにも似ていた。流されていくだけで、後戻りがきかない。やがて終わりの海に着く。ストラが健康に過ごせる期間はそう長くないのだろうと、バルバトスにはわかっていた。
「ダメかな。」
「……その街で、やっていける保障もねえ。だったら、この街で、みんながいたこの街で……、それにもしかしたら、誰かがひょっこり、帰ってくるかもしれねえだろう。」
「そうだな。それはそうだし……あなたがどうしても残るというなら、俺には止められないけれど。少し聞いてくれるかい。」
バルバトスはそう言って、ストラの作った楽器を爪弾いた。歌いはじめたのは、「魔を総べる者」と呼ばれる少年の物語だ。辺境の村人でしかなかった彼が、異世界から来た悪魔たちと手を結び、この世界を守るべく奮闘する。この世界に生きる全てのものを認め、分かち合おうとする若き王の姿が、ありありと浮かぶようで、ストラは物語に聞き入った。
悪魔の国と、国を追われた悪魔たちの、本格的な戦いの火ぶたがついに切って落とされる、というところで、バルバトスは手を止めてしまう。おい、続きは、とストラが催促すると、バルバトスはいかにもすまなさそうな顔で言った。
「作ってる最中なんだ、コレ。だから、ここまで。まだ完結してなくて。」
「はあ? ここまで聞かせといてそりゃねえだろ。いったいいつ出来上がるんだ。」
「いつだろーな……。でも、いつか必ず完成すると思うよ。完成したらまたあなたに聞かせに来る。」
それを聞いて、ストラははっとした。オマエ、とバルバトスをにらむと、彼はやはりすまなさそうな顔でいて、そのくせ前言を撤回するようすがまるでない。黙るストラへ身を乗り出して、なあストラさん、とどこか真剣みを帯びた声で語りかけてくる。
「人はみんな、いつか死ぬよ。街のみんなは本当に残念で……あなたもつらいだろう。けれど、ここではあなたは生きていけない。俺は、あなたに生きて、また俺の歌を聞いてほしいんだ。この楽器を、あなたが作ったものだって色んな人に聞かせて回りたい。こんなにも素晴らしい楽器を作れる人が、この世界にいるんだって。」
「…………。」
「頼むよ、ストラさん……。」
縋るような視線が向けられる。バルバトスの声音はひどく優しく、健気で、気遣いに満ちていて、どこか痛々しかった。
吟遊詩人である彼だ。そういった演技も出来るに違いない。けれども詩人というものは、どこまでも自分の感情に素直で、天真爛漫であるからこそ、物語に共感し、人に寄り添うことができる。バルバトスにも揺るぎなく備わっているその「資質」とでも呼ぶべきものは、歌や言葉に乗って、まっすぐ人々の心に届いていた。
ため息をつき、ストラはようやく、わかったよ、と一言口に出す。バルバトスはそれを聞いて、手にした楽器ごとストラを抱きしめた。おいやめろ、とストラが振り払おうとするのも構わず、意外にも強い力で引き寄せてくる。いつかの髪の香りがまた広がって、ストラはかっと赤面した。
ようやく離したかと思うと、じゃあ荷造りだな、と言わんばかりに家中を物色しはじめるので、ストラは早くも後悔することになる。
――持って行くものを決めるだけでかなり遅くなってしまった。ストラが持てる荷物と、仲間のメギドたちに背負わせる荷物を分けて、バルバトスは手を払う。明け方までにはまだ時間があった。この家にベッドがひとつしかないことを知っている。そろそろ寝るぞ、と言うストラに、バルバトスはあいまいにうなずいた。
いつかの寝台は、いつかよりも年季が入って、シーツにねずみがかじったらしい穴が開いている。バルバトスが気づいたのを理解したストラが慌てて布団で隠した。気にしないよ、と言いながら、バルバトスは服をくつろげる。エメラルドグリーンのベストや厚手のブーツを脱ぎ、ヘアバンドも外して、ラフな格好になった彼は、ためらわずにベッドへ身を沈めた。
美しい金の髪が広がる。ストラを見上げるバルバトスが、とても若く、清らかなものに見えた。ストラは彼に背を向け、ベッドの端で目を閉じる。
妙な緊張感があった。それは、ストラだけが感じているものかもしれなかった。しかし、バルバトスの寝息が深くなることはない。静かな時間が過ぎてほどなく、バルバトスが小さな声で呼んだ。
「ストラさん。」
「何だ。寝ろ。」
「あなたは起きてるのに?」
「うるせえな。」
「寝た方がいいよ。それとも、寝られない理由があるかい?」
笑う声には色香が混じっていた。ストラはそれに、無性に腹が立って、がばりと身を起こす。横たわったままのバルバトスの手首を上からつかんだ。想像していたよりも細く、胸がざわりと騒ぐ。バルバトスは落ち着き払っていて、ストラの挙動を下から眺めていた。
「バルバトス。そういうのはやめろと教えたはずだ。」
「言ってたなあ。でも俺は子どもじゃないしね。あなたの言うことばかり聞かない。」
「痛い目に遭いてえのか。」
ぎり、と力を強めると、さすがにバルバトスの腕に力が入るのがわかった。それでも払いのけようとはしない。かわりに、どこか妖艶に唇を吊り上げた。
「俺さ、怪我してるんだ。だからひどくはされたくない。」
「……はっ? 怪我? どこに……。」
ストラは驚き、バルバトスの服をめくった。確かに包帯が巻かれている。全く気づかなかった自分にショックを受けて硬直していると、バルバトスが自由になった手を伸ばしてきた。
彼は自身の腹の傷を撫で、それからストラの手をつかむ。
「でも、ひどくしないんなら……俺もキョーミあるんだよな。」
彼の瞳がいたずらに光った。好奇心が抑えられないのか、言いながら膝を立てて、ストラの股間を探ってくる。そこが勃起していることを知ると、バルバトスはゆっくり前を開いた。白い胸板が露わになる。
ストラは自分が、興奮しているのか、怯えているのか、どちらなのかがわからなくなった。
肩までシャツをずらし、もろ肌をさらして、彼は髪を払う。笑みは崩れることがなく、相手の答えを待っていた。ストラが動けないでいると、彼はゆっくり首をかしげ、それから小さく口を開く。
「しないの?」
「……っ!」
それが最後の駄目押しだった。
バルバトスのうなじを引き寄せて口づける。がちっ、と歯が鳴って、痛みにうめいたが、すぐに舌をからませた。
美しい詩を紡ぐ唇が、今はストラの唾液を飲み、甘えるように吸い付いてくる。整った歯列をなぞり、上顎を撫で、好き勝手に這い回っても、バルバトスは小さく鳴くだけでいいようにさせていた。
深くキスをしながら、シャツの内側へ手をすべりこませる。包帯が巻かれている箇所は避けた。男の肌とは思えないほどなめらかで、しっとりとしていて、会ったこともない高級な娼婦を抱いているような心地になる。指に任せて脇を探ると、バルバトスが身を跳ねさせた。口が離れ、ふふっ、と笑ってやや丸まる。
「く、すぐったい、って。ストラさん……。」
「ちょっと触っただけだろうが。」
「笑うと、痛いんだよ……。少しだけ。」
ストラの顔色をうかがってか、語尾にそう付け足して、バルバトスは脚を開いた。ストラがそこへ身を割り入れると、内腿をすり寄せてくる。もっと、とねだるような仕草だ。アルコールはすっかり抜けたはずなのに、頭がぐらぐらとした。目の前の青年が、自分と同じ男ではない、他の生き物のように見える。
ストラは、今後こそ変に刺激を与えないよう、舌だけで肌をなぞった。若く張りのある皮膚は、ストラの唾液を弾いて妖しく光る。なめくじのように跡が残って、バルバトスが息を吐くのが聞こえた。
優男じみた外見からは想像もできないほど、バルバトスは身体を鍛えている。贅肉の付いていない横腹には腹斜筋が薄く波打ち、割れた腹筋へとつながっていた。そこを舌で舐め上げていき、しまいに脇まで辿り着くと、ストラさん、と抗議じみた訴えが聞こえてくる。
「オマエでも汗かくんだな……。」
「そりゃかくよ。さすがに……やめてくれ。」
舌先に残る塩味に、ストラがぽそっと呟くと、バルバトスは珍しく拒絶の意を示す。ちらりとストラが見上げれば、どことなく頬を赤らめているのがわかった。いつも過剰なほど自信に溢れている彼の、わかりやすく照れた姿は、ストラの目から見ても新鮮だ。無視して舐め続けると、おいおい、ちょっと、などと言いながら身をよじり、腰を浮かせ、脇を締めようと躍起になった。その抵抗が、しだいに荒い息に変わり、彼の肌が汗ばむのを、すぐ近くで感じている。
「……っは、……ふ……っ。」
熱で潤んだ瞳は伏せられて、彼は片手で口を押さえ、長い髪で顔を覆い隠していた。かすかに仰け反るたび、首すじを汗の玉が伝っていく。こちらへ注意が向かなくなったのをいいことに、ストラは彼の胸へ手を這わせ、ぴんと立った尖りを指の腹で撫でつぶした。んん、と彼の声がワントーン上がり、まるで調律でもしているような気分になる。
音域を探るように、撫で、つねり、挟み、押しつぶして、舐め上げていく。吐き出される音の高低を頼りに快感の度合いを見定めた。彼の秘められた口もとから、指の間隙を縫うように漏れ出てくる、感じ入った声音。歌っているときの伸びやかな発声とは異なる、明確に夜の熱を宿した、陶酔の忍び寄る嬌声だ。
一定のパターンを呼び起こそうとするかのように、ストラは絶えずそこを弄った。バルバトスは頭を振り、胸を反らせて逃げようとする。それが叶わないと知ると、枕に顔を沈めて喘ぎを押し殺した。刺激を与えれば与えるだけ、彼は素直に反応し、内腿できつく挟みこんでくる。当てられた彼のものが、固く滾っているのを感じ、ストラは気を良くした。
服の上から握ってやると、うぁ、と彼が悲鳴を上げる。
「す、ストラさ……そこ、触るなら、脱ぐからっ。」
「何だよ。染みになるのが嫌だってか?」
「そうだよ。一張羅なんだ。汚したくない……。」
バルバトスは、ようやく枕から顔を上げた。こぼしていたらしい唾液がつうっと糸を引く。赤い頬をそのままに、彼は慌ただしく下穿きを下着ごとくつろげ、少しばかり畳んで体裁を整えて、ベッドのそばへ置いた。
一仕事を終えて安堵したのか、ふ、と肩の力を抜く。そしてストラを見上げてきた。どこか呆れたような、すがめた目をしていて、何だよ、と再びストラがたずねる。
「いやあ、女性はいつもこんな感じなのかと……もっと女性には優しくしようって、改めて思ってるだけさ。」
「へえ……。オマエ、ツラはそこそこだからな。女受けはいいんだろうなあ。」
「そりゃもう。昔から女性にはいつも良くしてもらってるよ。」
「昔ってなあ。生意気に年寄りじみたこと言いやがって。」
問答しながら、さらされた下半身をじっと見下ろす。日焼けなどしたこともなさそうな、透き通るような白い肌だ。性器ばかりは己と同じだが、色や陰毛が薄いのもあって、まじまじと見ても萎えることはなかった。視線だけで腿から膝、下腿を追っていくと、片方の脚に包帯が巻かれているのがわかる。ここも怪我か、とたずねると、彼は無言でうなずいた。
「痛えだろうに、よくヤる気になったな。」
「まあ、こういう機会ってそうないしね。」
あっけらかんと笑う。それからひょいっと手を伸ばし、自身が身に付けていた服から、花のような香りのする小瓶を取り出した。ちょっとした軟膏代わりで、いい香りだから気に入っているのだと説明される。手渡されたので開くと、とろみのある液体が詰まっているのがわかった。
これで慣らせということだろう。ありがたく頂戴し、彼の膝を立てようとした。が、それには制止がかかる。
「すまない、横向きがいいな……。脚が、ちょっと。」
「……ったく。」
わがままなヤツ、とは思うストラだったが、病人であることに違いはないので、言う通りに側位を取った。指に液体をまぶし、固くつぼんだままのそこへ押し込む。ぐちゅっという湿った音がやけに大きく聞こえた。
節くれだった指に、ねっとりとした内膜がまとわりつく。きつく締めつけてくる括約筋を越えると、奥は熱く柔らかかった。早くほぐれるように出し入れを繰り返していると、バルバトスはううん、と何か考えるようにうなってみせる。
「どうした。」
「これ、気持ちイイのかな……わかんないな……と思って。」
「ケツの穴でそんなすぐにヨくなるかよ。」
感覚に困惑しているらしいバルバトスを放って、萎えかけてしまった彼のものを探る。軟膏を塗ればいくらか良くなったらしく、ん、ん、という慎ましい声が聞こえてきた。彼の手が被さるように伸びてくる。やめてほしいわけではなく、所在ないからそこへ来た、というような頼りなさだった。
前を適度に触ってやりながら、後ろの指を一本増やす。当初のきつすぎる締め付けは少しましになり、奥で動かす余裕も出てきた。内膜のひだを広げるように、じっくりと押しつぶしながら抜いていくと、バルバトスの喉から長い吐息が漏れる。彼の瞳は熱に浮かされて、とろんと溶けたまま虚空を映していた。
三本目を入れる頃には、先走りでシーツが汚れ、それを恥じるようにストラの手を止めようとするバルバトスの姿がある。喘ぎ声は涙混じりで、引き抜くたびにがくがくと腿が震えた。前と後ろ、どちらで感じているのか、もはや判然としないのだろう。腹側をゆるゆると押し込むのが良いらしく、適度に苛めてやると高い声で鳴いた。
「っ、……ぁ……あぁッ……!」
汗で湿った背中を舐めながら、緩慢に抜き差しを続けて、涎を垂らすばかりになった一物を扱いてやる。はー、はー、という息の合間、許しを請うように頭を振った。足の爪先でストラのすねを引っかいてくる。叱るように中をかき回すと、声も出さずに背を丸めた。中がうねり、締め上げられる。女性の膣より窮屈だが、それがまたいい具合だった。
ここに自身を埋め込むのを想像するだけで興奮する。ストラがもっと若ければ、勢いに任せて押し込んでいたかもしれない。そう考えるとバルバトスの忍耐力もなかなかだった。ちらりと顔色をうかがう。彼は片方の手でシーツを握りしめ、腕を噛んだり布を噛んだりしながら、押し寄せる快感に身悶えていた。
「バルバトス……。」
「……す、ストラ、さ、ッ……あっ……も、す、すとらさんっ……。」
言葉がたどたどしい。噛みしめすぎて、呂律が回らないのだろうか。それにも恥じたらしく、彼の瞳にとうとう薄い水の膜が張った。なだめるように触れるだけのキスを落とすと、たやすく雫が堰を切り、彼は情けなく水洟をすする。
尻に、陰茎を押し当てながら、どうしてほしい、と聞いた。バルバトスはもともと吊り気味の眉をさらに吊り上げて、怒ったようにストラをにらむ。だがそれも、敏感になった内膜を執拗にこね回されるうちに、ふにゃりと崩れた。
「ゆ……ゅるして、くれ……。」
「どうしてほしいんだ。やめるか? ん?」
「……っ……だ、から、も……っぁ! ぁ、ァ、あ……っぅ、あ゛……!」
文句が出そうだった口から、続けざまに喘ぎがこぼれる。とん、とん、とリズムよく良いところを押してやっただけだが、それが彼には堪えたらしかった。後ろを弄る手を掴んでくるが、その力は弱々しく、すぐに快楽に負けて、ただ添えられているだけになる。
いつ音を上げるか。そのときを楽しみに、内壁を丹念に抉り、彼の気力を削いでいく。喋ろうとすると喘いでしまうのがわかったのか、彼はまたシーツに顔をうずめて、快感だけを享受する体勢になっていた。動かせば動かすほど、背中が引きつれて反り返る。布の奥から漏れる悲鳴は、助けを求める響きを明確に含んでいた。その声が、短く、浅くなり、やがて硬直していく。身体が限界まで反り切ったところで、とどめを刺すように円を描いて押し込んだ。
ひゅっ、という息を吸いこむ音の後、一気にベッドがたわむ。ぎちり、という効果音が似合いそうなほど後ろが締まった。バルバトスの手がシーツを掻き、掴み切れずに握りこまれる。緊張と弛緩が繰り返され、まだ冷めやらぬところで、指を一気に引き抜いてものを押し当てた。バルバトスががばりと顔を上げる。
「待っ……む、無理ムリ、今はッ……や、ストラさ……ひッ、――~~ッ!!!」
抵抗しようともがく手をとらえて、奥へ一物を押し進めた。バルバトスが目を見開き、その視線が一瞬のうちにブレる。痛いぐらいの締め付けを越えて、潤んだ肉膜のとろけるような触感を性器越しに感じた。善がっていたところを先端で押しつぶし、奥の奥まで刺し貫く。みっちりと詰まったところで、バルバトスは腹の底から低く喘ぎ、身を折ってもんどり打った。
流石に一度止まってやるかと思い、そこで動くのを止める。見下ろせばなかなかに壮観な眺めだった。
バルバトスはまだ衝撃の渦中にいる。意思とは裏腹に跳ねているだろう脚や、ふっと緩んではきつく締まるのを繰り返す肉襞が、その凄まじさを物語っていた。汗をびっしょりとかき、ぐしゃぐしゃになった髪の間から覗く瞳は、完全に放心して焦点が合っていない。綺麗な顔を鼻水や涎で汚し、それを拭うこともできていなかった。出会ったときから見せていた「穏やかながら頭の切れる青年」といった印象は、そこにはない。いつまで待っても、バルバトスが気を取り直す気配がないため、ストラはぐっと腰を突き上げた。
「っァ……あ、ぁ……~ッ……!!」
奥をわずかに突いただけ。その刺激だけで、また絶頂したらしい。その証拠に、脚がつんのめって、いたずらに内腿を締めつけ、余計に中を深く感じてしまっている。ようすを見ながら、何度か突いてやると、最後には身体を投げ出して、中だけを締めつけるまでになった。
「あ゛ーっ……あぁァ……ぅ、あ……ア……っ!」
ゆっくりとした抽挿がたまらないらしい。手前側のいいところと、奥を一緒に狙うと、わかりやすく腿が引きつった。溶けた軟膏が抜くたびにこぽりと溢れてくる。ぽたぽた垂れる雫が、さながら愛液のようで卑猥だった。
「ぁ、う……くぁ……――ッ! な、ぇ、うぁッ!」
ほとんど意識を手放しているような状態だったバルバトスが、突然わっと起き上がろうとする。ストラが乗っているので当然上半身のみだが、それでもどうしたのかと思って見ると、彼はどこか怯えるような、窮地に立たされたかのような表情になっていた。
「そ、ソロモン、何でっ……わ、ストラ、さん、待って、本当に今はっ……今はダメだって!」
傍目から見ると、なぜ突如慌て出したのかさっぱりわからない。ストラは特に深く考えず、律動を再開した。バルバトスは息を呑み、必死で頭を巡らせる。
ソロモンからの召喚が来ていた。こんな夜中に、こんなタイミングで、と思うが、心配しているのだろうことは分かっている。とにかく今は応えられないと、そう返事をすればいいのだが、頭が満足に働かなかった。
良いところを狙われると真っ白になって、言葉も意思も何もなくなる。考えようとすればするほど、腹の奥の悦点から襲い来る強烈な刺激に成す術もなく飲まれてしまう。
(ま、マズイ、このままじゃ召喚、され、たら、洒落にならない、ほ、ほんとにっ……ダメなのにっ……!)
恐怖と快楽で脚が震えた。だめ、だめ、と何度も念じる。それだけでもソロモンに伝わればもう構わなかった。圧倒的な快楽を耐えて逃そうとしても、今度は発散できずに蓄積していく。
じわじわと奥底から深い絶頂感が這いのぼってきていた。「それ」が来たら、もうバルバトスには何もできなくなるだろうことを、予感として理解している。
水音が激しくなる。肌と肌がぶつかって、粘膜の弱いところを強かに押し上げられた。張り出たかり首が引っかかっては抜かれ、抉りながら奥へと戻っていく。逃げようとしても脚が動かない。「気持ちいい」から離れられない。
「~~ッ……だ、だめ、も、だ、め、っひ、……ぃ、く、ぃくいく、いッ……――ッ!!」
その瞬間、凶悪なまでの快感が、濁流のように身体を襲った。跳ね上がる背中を押さえ付けられ、意思とは関係なく締め上げる腹の中が、精液を搾り取ろうと躍起になっているかのようにうごめく。子宮に押しつけるような動きで奥を穿たれて、それすらも抗いがたい恍惚を連れてきた。
ほとんど触られていなかった性器から、だらだらと精液が漏れる。バルバトスは何度も痙攣し、枕やシーツをかき抱いて、声もなく叫んだ。
やがて、ストラが性器をずるずると引き抜く。なおも震えっ放しで、失神したように倒れ込んでいるバルバトスは、その動きにも泣き声混じりに喘いだ。完全に脱力して、ストラが何を言っても反応を示さない。ひく、ひく、と細かく跳ね続け、そのままある一点で、ふつりと意識を失った。
彼が次に目覚めたのは、すっかり身を清められた後の、すがすがしい朝の光が差す時間帯だ。若き王との約束の時間をかんがみて、彼が飛び起きたのは言うまでもなかった。
*
避難民たちが一堂に会している集会場へ、ストラはようやく到着する。後ろに続くのは荷物持ちの男衆――メギドたちだ。バルバトスは小さな荷物だけ小脇に抱えている。当然、お前もこれ持てよ、と他の者たちから指摘されていた。
「すまないが……ちょっと俺は、今はこれが限界。」
いつもなら「美しい俺に、見苦しいだけの重荷は似合わないさ」などとすかした物言いを見せそうなバルバトスだが、本日はいかにも体調が悪そうにしている。彼が怪我をしていることを知っているメギドがフォローを入れているうちに、まとめ役のアリトンの説明が始まった。
全員がそれに聞き入っている中で、バルバトス、と呼ぶ声がする。振り向けばソロモンがいた。朝には連絡事項を交わしたのみで、これといった会話はしていなかったが、彼は彼で昨日のことを案じているだろうと合点する。
「ああ、ソロモン。昨日はすまないね。返事ができなくて。」
「いや、それはいいんだ。遅かったかなって俺も思ってたからさ。怪我は大丈夫か?」
「問題ないよ。もう歩くのにもさほど支障はないし。」
「そうなのか? 何か、しんどそうに見えるけど。」
ソロモンに覗きこむように見つめられて、バルバトスは少しだけ視線をうろつかせた。黙ってしまった彼へ、ソロモンは更に続けてくる。
「あのさ、昨日、何で召喚に応じなかったんだ? ……っていうより、何か昨日、ヘンじゃなかったか? バルバトス。」
「ヘン? って、何がだい。」
「うーん……うまく説明できないんだけど、「集中できてない」っていうか……俺が呼んでも、まともな返事が返って来なかったっていうか……。あ、寝ぼけてるとそうなるのかな。寝てたのか?」
「…………まぁ、寝てたかな……い゛てッ!」
かなり返答に窮しながら、ようやくそうとだけ言うと、ばしりと後ろから腰を打たれた。じんと走る痛みにうめく。そこにいたのはブネで、バルバトスの顔を見るなりため息をついて、ソロモンへ視線を向けた。
「ソロモン。そろそろ移動が始まる。オマエが先導だろ、遅れずに行ってこい。」
「あ、うん。じゃあ……バルバトス、荷運びが終わったら、ちゃんと休めよ! また後で!」
ブネの言葉に、ソロモンはうなずき、駆け出していく。その背が見えなくなったのを確認してから、ブネはじろりとバルバトスをにらんだ。バルバトスも負けじとにらみ返す。
「ほどほどにしろ、オマエは。」
「わかってるさ。……さすがに肝が冷えた。というか、止めてくれよ、ブネ……。」
「どうしてもって言うんだから仕方ねえだろうが。」
うっとおしそうに頭をかき、ブネは会話を切り上げて歩いていく。恨みがましい目で彼を追いそうになるバルバトスだったが、移動の号令を聞いて、すっと表情を改めた。姿勢を正し、ストラのもとへ歩いていく。
こうして、人々の大移動は、メギドたちとその王の手によりつつがなく達成され、彼らの英雄譚はまた一頁先へ進んだ。新居となる家へ荷物を全て運び込み終わり、ストラの楽器工房は再び立ち上げられることとなる。
去り際、彼がバルバトスに、調律が必要になるか、楽器が要り用ならたずねて来い、と声をかけると、バルバトスはにこやかに笑った。
「それと、聞かせたい物語が仕上がったらね。」
「ああ。……オマエがまた来るまでは、どうにか生きてやるさ。だから、あの続き、忘れるんじゃねえぞ。」
そう言って、送る側と送られる側、双方の挨拶を済ませ、バルバトスは王のもとへと帰る。
彼の手には美しい楽器が残り、その楽器もまた、一つの物語として語り継がれていくのだろう。