メギド72

スタミナのもと
ソロモン×バルバトス

 しゃりっ、という小気味いい音がして、口のなかが一気に冷える。とろける水のしずくが喉の奥へと落ちていく。
 なかばくわえるようにして、ソロモンは棒付きの氷菓子をしゃくしゃくと食んでいた。
 周囲には仲間のメギドたちがいる。彼方をゆっくりと進む巨大な超幻獣――ムースの群れを眺めながら、誰がどう動くかの最終確認をすり合わせていた。
 陽動が得意な者たちと、味方を守ることに長けた者たちで、まずは一体を引き付け、うまく孤立したところで重い一撃を叩き込む。担当のメギドたちはみな真剣に、そしてどこか楽しげに、相対するにはあまりに大きいムースの王を見定めている。
 少なくとも、まともにぶつかり合うだろう面々に、怯えたようすはない。俺も負けてられないな、と決意を新たにしたソロモンの指にぱたりとしずくが垂れた。続けてぽたぽた落ちてくる。うわ、と声を上げてしまって、周囲のメギドから視線を浴びた。
「何やってんだ。」
「大丈夫かい、ソロモン。」
「あ、悪い……すぐ溶けるな、これ。」
 いつもの旅のメンバーであるブネ、バルバトスは、今回も作戦指揮の一端を担ってくれている。ブネからは呆れたような声が飛んだが、バルバトスは歩み寄ってきて、きれいな布で手を拭き取ってくれた。何やら気恥ずかしく、頬をかくと、バルバトスはにっと笑ってくれる。
「シバの女王直々の差し入れが、まさか氷菓子とはね。お味はどうだい?」
「あー、甘いよ。甘くて、冷たくて……頭が冴える感じがする。」
「へえ。それは、菓子の効果なのかな。疲れた時には甘いものって言うけど。」
「……ドリンクだのアイスだの、気楽すぎ。」
 横で黙っていたウェパルが、ことさら辛辣に指摘する。う、という顔になったソロモンを、マルコシアスが高らかにフォローした。
「ですが、食事を摂れるのは余裕がある時だけですよ。食べられる時に食べておくことも大事です。」
 そうですよね、ソロモン王!と晴れやかな笑顔を向けてくるマルコシアスに、ソロモンはあいまいに笑いながら、まあそうだけど、と返す。巨悪を前にしていつも以上に張り切る彼女に、手綱役を預かるアンドレアルフスも少々手を焼いているようすだった。
 ふいに、メギドたちが集まるそこへ、索敵役を務めていた仲間のひとりが戻ってくる。ターゲットが目的の地点に移動、という声を受けて、別の数名のメギドが立ち上がった。いよいよ引き付けの作業が始まるのだ。
「うまくやれ。連れてくれば、後は私が務めよう。」
 どっしりと腰を下ろしているアスモデウスが、低く朗々と告げる。メギドたちはいやに神妙な顔でうなずいた。そして駆けだしていく。
 次第に物々しさを帯びはじめた戦場において、ソロモンはいそいそともう一本アイスの袋を取った。あんたまだ食べるの、とウェパルが目をすがめるのに、だってさ、と口を開く。
「連戦になった時、事前に食べておくと、頭が疲れない感じがするんだ。シバもそんなこと言ってたし。」
「そもそもハルマ側が作ったものでしょ。よくそんなに何本も食べられるわね。」
「でも食わねえと減らなくねえ? ほら、まだこんなにあるぜ。全部アニキ用。」
 モラクスが指し示す大きな保冷箱には、届けられたアイスがみっちりと詰まっていた。戦う量と支給量が合っていない気がする。戦いが終わる頃にはうずたかく積み上げられていそうで、つい空いた時間に食べてしまうのだ。
 もしかしたら、食べ続けて戦い続けてさっさと殲滅しろ、というシバの無言の圧力なのかもしれない。
 箱のなかをちらりと見たウェパルは、辟易した表情になって、ムースたちの方へと歩いていってしまった。
 アイスもヤツらも、どんどん増えてるもんなー、とモラクスが笑う。そして、ヤツ――目標のムースが進行方向を変えたのを見届け、彼もまた、相棒の斧を手に進んでいった。
 残る本陣のメギドたちは、参謀役か仕留め役か、もしくは治療役のいずれかだ。彼らはまばらに散在しながら、ムースの白い巨体がのろのろと向かってくるのをじっと見つめている。それを見ていたソロモンのアイスがまた滴りそうになり、バルバトスが声をかけた。
「ソロモン。また落ちるよ。」
「え? うわ、……っと。ごめん、何度も。」
「かまわないさ。けど、それで最後にしておこうか。前線の仲間たちは首尾よくやってるようだ。」
 とす、と隣へ腰かける。ソロモンは危うげなしずくを舐めとろうとして舌を延ばしていた。その先端が青く染まっているのを見て、バルバトスが目を丸くする。
「わ、ソロモン、舌が青いぞ。」
「へ? そうなの? 俺見えないから、わからないんだけど。」
「面白いな、アイスの染料が着くとそうなるのかな。舌の感覚は?」
「うーん、ちょっと冷えて痺れて、動かしにくいけど、いつもと違う感じはないよ。」
「へえ……。」
 興味深いのかまじまじと見つめられ、何だか居心地が悪く感じられて、ソロモンはやや後ろへ引いた。困り顔のソロモンに、バルバトスは穏やかに笑って、そろそろ行くかい、と提案する。
「……そうだな、そうしようか。」
「ああ、でもソロモン、ちょっと。」
「ん? 何だよ――」
 バルバトス、と続けそうになったくちびるが、塞がれる。
 冷えて縮こまった舌を、ぬめる温かな感触が撫でた。表面を舐め取るように、味わうように、ねっとりと絡められる。硬直したソロモンが、キスされた、と気づいた瞬間を見計らうように、彼はすっと離れた。
 ぽかんと口を開けたソロモンの頬が、じわじわと赤くなっていく。バルバトスはそれを楽しそうに見つめた。
「ホントだ。甘いね。」
「~~ッ今することかよ! っていうか、味が知りたかったのか? だったら、」
「いや、元気出るかなって。菓子には負けられないもんな。」
 それだけ言うと、バルバトスは立ち上がる。一気に顔が遠くなった。ソロモンは真っ赤になった顔をそのままに、慌てて追うように立つ。動きだした若き王の姿を見て取り、メギドたちも後ろへと並んだ。
 王の赤い顔を見とがめる者はない。それを隠すように、バルバトスが隣を歩いている。
「いつもなら、一曲どうだい、とか言うのに。」
「キミいつも断るじゃないか。」
「でもこういうのも困るよ……。」
「そうかい? 元気出なかった?」
「…………、出た。」
 だけどダメ、とソロモンがぽそりと言う。バルバトスは声を上げて笑った。ごめんよソロモン、と続く声音は詫びているのか嬉しいのかどっちつかずだ。頬のほてりを冷ますように、ソロモンは手で顔を煽いだ。
 冷えていたはずの口も、頭も、すっかり逆上せている。しまいに頭を振って、ソロモンはムースの王を見上げた。
 仲間たちに合図を送る。周囲できらめくフォトンのかたちを視野におさめて、前へ出るメギドたちに声をかけた。
 とうとう白いムースの王、霊王ブランムースが眼前へ姿を現す。アスモデウスの刃から青い火花が飛び散った。戦いの始まりに、雄叫びを上げる悪魔たちを従えながら、ソロモンは凛とした目で戦況へ臨んだ。
 ――いつも以上の連戦を、若き王はミスなく最後まで戦い抜く。口もとをかすかに吊り上げたウェパルが、アイスも悪くないんじゃない、と労ってくれるのに、ソロモンは何とも言えない表情になった。

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