黒子のバスケ
不時着の過程
1 撞着
R-18/黒子×火神/青峰←黒子前提
目あてのコートには、すでに浅黒いすがたがちらついていた。
黒子のとなりを歩いていた火神が駆けだす。風をはらんで浮き上がるジャージの背は、いかにも部活帰りといったていだ。夕暮れの赤光に、まぶしいふたりが入り混じってゆく。
スポーツバッグから取り出されるまん丸なボールを、大きなふたつの手がつかむ。奪いあう。弾き出すリズムに合わせて、踊るように夕暮れに溶けこむ。
ようやっと低速でたどり着いたコートに、自分は所在なく、黒子はベンチに腰をおろした。
点数でも計算してやろうかと思ったが、たぶんそれはどうでもいいと思いなおした。どちらが優勢かというのは雰囲気でわかるだろうし、はたから見ても、青峰のほうが点を入れている。青峰が、コートを踏みしめて流れるように動くのに、火神はやや遅い。でも、食らいついていく。その目が、あきらめていない。口元がしあわせそうに吊りあがっているふたりを、黒子はぼうっと見ていた。
夕やみがせまってくる。
飽きることなく求めあうふたりが、どんどん暗闇にのまれようとして、ふっと頭上からライトが降り注いだ。
まるで舞台のスポットみたいだと黒子は思って、ロマンチックに過ぎるとかぶりを振った。だとしたら、黒子はただの観客である。それはちょっとゆるせない。
偶然、ダンクしようと躍起になる火神の手からこぼれたボールが、黒子のほうへ転がってきて、つま先にこつりと当たった。なんだかボールに励まされているようだ。
(何を言う。ボクはこれもそれなりに楽しいですよ)
子どもじみた感傷に頬をふくらませていると、ぽた、と水滴が落ちてきて、顔をあげると巨大な人影がふたつ立っていた。息が荒い。びっしょりとあふれ出した汗が、蒸発でもしているのか、黒子の目にふたりはかすんで見えた。
「やべえ、暗い」
「やべえな」
「黒子、おまえなに座ってんだ」
「じゃあ最後にやりましょうか。ボク対ふたりで」
火神と青峰が、同時に動きを止めたのがおかしくて、黒子は笑った。
そして、火神の右手にとらえられたボールを勢いよくスティールし、コートに躍り出る。
ずりい、とわめく声が、追いかけてくる足音が、せまる前に、ゴールにたどり着きたい。
もっと早く。
*
夜半から雨だと、天気予報で言っていて、それを黒子も聞いていた。折り畳み傘を広げなかったのは、翌日が休みであったこともある。それから、広げたところで、火神ごと覆い隠すことはできないだろうから。
青峰との逢瀬を終えて、マジバーガーでのテイクアウトのちの豪雨に、からだはすっかり濡れた。
火神のマンションについてから、両親には連絡を入れた。
家主である火神は、手早くバスタオルと着替えをよこしてきて、ぼたぼたとぬれそぼる服を脱ぎ捨て、小さくくしゃみをした。均整のとれた肉体に、手を伸ばして触れて、火神が震える。
「つめてえっ」
「寒いです」
「風呂入れ風呂……げっ……」
水浸しになった紙袋を、テーブルに置いて、火神は眉を寄せた。どうせ、食えるかなと考えている。そして、食えるだろうという結論にしか達さない。間の抜けた顔を体ごと引っ張って、ソファへ落とし込む。いまだに焦点が食べ物一直線な男の横面を張り、圧し掛かる。
かかる体重に、火神がぐっと力を入れる。こわばった腹筋に、手をついて、爪を立てて、火神をにらむ。何か言いたげにひらいた唇へ顔をよせた。
そのまま、くちづける。
もてあそぶように、表面をぺろりと舐めて、密着する。ちゅ、とひびくリップ音が小粋で、こどもじみていて、エロティックだ。
あったかいな、というのが黒子の感想であって、それが心地いいからしていると言えば火神はどんな表情をするのだろう。するりと肌をなぞる。でこぼこに割れたお腹が、うらめしくて、また爪を立てると、今度こそ火神は口を離して文句を言った。
「いてえんだよ」
「はい」
「……お前なあ」
「食事なんか、あとでいいじゃないですか」
黒子は両手で火神のからだを抱き、首筋に舌を這わせ、いたずらに吸い上げる。
火神はどこか別のほうを向いて、口をへの字に曲げた。強情なしぐさにふわりと欲が顔をもたげて、勃ちかけている股間を火神のものに擦り付ける。は、と意図せずもれた息に、気恥ずかしさがつのった。
ああやりたくねえと全身でまさしく体言している火神がおかしくて、彼の耳元でふふと笑ってやる。
とたんに、ぴんと二又の眉を吊り上げて、きっと黒子をにらんでくる。
「なんですか」
「なんですかじゃねえ。や、め、ろ。風呂入れつめてえ。飯食え。寝ろ」
「ええ……嫌ですか。ボクとこうするの」
「お前とやって俺が勃ったことあったか」
「反語とは火神くん。最近習ったばかりですね」
「はんごってなんだよ……」
心底いやそうに言って、片手で顔を覆う火神の、筋の浮いた腕に浅くキスを繰り返す。手首までのぼり、手の甲を舐め、指先にいく前に、邪険に払われた。
「ひどいです」
「いっぺんやられてみろ、すりゃわかる」
「嫌です。ボクはそんなことしたいんじゃない、痛いのも嫌だ」
「うるせえ俺も嫌だそんなん。ああ腹減った」
「萎えるんで黙っててもらえますか」
正当な反論が耳をつらぬく前に、開きっぱなしの無防備な口を覆って、その奥まで舌を伸ばした。とろ、と先端に火神の唾液がふれて、かきまぜるようにからませる。火神の喉がこくんと動いたのをきっかけにして、愛撫の手を再開した。
なんのための愛撫だろうかと、黒子はたびたび思う。
火神にふれるのは好きだ。火神のからだを撫で回してふやけるまで舐めてキスしたい。でも別にそんなことしたって、火神の欲が膨らんでくるわけではない。じっと息を殺して、たまに明後日のほうを向いている。
けれど、黒子の指が体内に入ってくれば、なるべく力を抜いてくれるし、いざ挿入の段階にあっては、どうすればましかと思考をめぐらしている気配がする。受け入れてくれているのが、うれしいようでつらいようで、よくわからない。たいがい、そこまでいってしまえば、黒子は入れて果てることしか頭にないのも災いしている。
位置をととのえて、狭き門を越え、火神と深く重なりあう時、黒子は涙がこぼれそうになる。
火神は苦しそうで、吐くのを堪えているのか口を引き結び、律動のたび、えずいて、目を真っ赤に濡らす。
いつか火神が吐き戻したら、自分は動くのをやめてその頬に手を添えられるかと、黒子はそればかり不安だった。
きもちよかった。
柔らかな粘膜がぎゅうぎゅうと締め付けてくるのが、ゴムを介して伝わる。押しつぶされそうなペニスが、どくどくと脈うって、ああ包まれているとろけている一つになると、黒子は甘ったるい喘ぎをこぼす。
陶酔している。
火神は、セックスの間、いつも同じことを考えていた。
それは、この行為はいつ終わるのだろうとか、明日の練習どうだとか日常のことも、いくらかある。
けれどいちばん思い返すのは、はじめて黒子とキスをした日だ。
あの日からすべてズレこんで、とうとうこんなところまで来てしまって、火神はどこにも行く気になれない。
一度、共通の知人である、こういうことには手馴れていそうな男に相談を持ちかけたが、言い方が悪かったのか盛大に腹を立てる結果に終わった。
(「なあ。好きでもないやつとセックスすんのってどうだ」「…………火神。ゴーカンは犯罪っス」)
つながっている間、黒子は火神の顔をじっと見ている。どこか一点を見ているというよりも、火神だと認識するためにそちらに顔を向け続けているというのが正しい。
それが、火神には痛々しくて、つらい。
行き場のない指先で、腿をつかんでいる黒子の手をなぞると、黒子は瞳を揺らした。
ゆっくりと瞬く。
苦しそうに、息を吐く。
「きみと、ひとつになりたい。……きみと、ひとつに、なれたらって、思うのに」
水色に透き通った虹彩が、ほそまって、歪む。
「苦しいんです。苦しい……火神くん」
「……め、を」
呂律が回らない自身を叱咤して、一度唾を飲み込み、火神は再度口を開いた。
「目え、閉じてろ。だまってて、やっから」
それは、愛のことばだった。
黒子はことばを受け取って、泣きそうに笑い、火神の筋張った膝小僧にキスする。限界が近かった。
熱に浮かされて口走った一言へ、あまりにも優しい愛が落ちてくるのが、黒子はうれしかった。
火神の、萎えてしぼんだままの性器も、不思議と場に釣り合っていた。
ゴムの中に、精を飛ばして、悦楽にもうろうとしながら、引き抜き火神に倒れこむ。
目を閉じる。
心地いい。
暗闇の中で、獣にも似た肉体が、己と隙間なく寄り合っている。バスケットボールを思い出す。