淫魔の王

本編
痒みに侵されながらの触手肛虐出産 - 1

 真紅の絨毯を一歩一歩踏みしめながら歩いていく赤毛の青年、ザック。麻の長袖シャツを肘までまくった彼の手には盆があった。そこには蓋の付いた深皿と銀の匙、それから布袋が行儀よく乗せられている。
 彼はある部屋の前で足を止めると、どこか落ち着かないようすで服の土埃を払い、深く息を吸った。
 扉の取っ手を握り、回す。音も立てずに戸が開いたその瞬間、黒い影が飛びかかってきた。
「――っ、わ!」
 ザックの足を、腰を、胸を侵食して影が蠢く。それは捕まえた獲物を締め上げようと動いたが、突如気が抜けたように緩んだ。
 顔まで這い上がってきたそれにペチッと頬を叩かれ、ザックは苦笑して戸を閉める。
 部屋の床には影、もとい謎めいた極彩色の塊がうぞうぞと波打っていた。
 植物の蔓のようにも、海を泳ぐ軟体動物の足にも見えるそれらは、一般的には『触手』と呼ばれている。淫魔たちが暮らす魔界に棲むとされる魔物の一種だ。
 頻りに粘液を吐き出しながら、触手どうしを擦り合わせて粘っこい水音を立てている。ザックは盆を高く掲げ、子どもに言い聞かせるような口調でボソリと呟いた。
「大人しくしてくれよ。飯を持ってきたから」
 触手を踏まないように奥へ進み、巨大なキングサイズのベッドが鎮座する部屋へと入る。ベッドのそばに立ってシーツの小さな膨らみを見下ろした。
「もう昼過ぎだぞ、アール」
 呆れたように言いながら閉め切られたカーテンを開く。
 日はすっかり高かった。見下ろせば貴族の馬車が行き交い、遠くの大通りには大勢の人々が市場に並べられた品を吟味している。ザックはサイドテーブルに盆を置き、反応のない膨らみからおもむろにシーツを剥ぎ取った。
 人形のように美しい、子どもにしか見えない存在が、背を丸めて目を閉じている。
「やめろ⋯⋯」
 整った美貌を不機嫌に歪めて彼――アールは掠れた声を上げた。常時は性別すら曖昧なボーイソプラノを響かせる喉が発した低音に、ザックは驚いて目を丸くする。
 彼は真珠じみた青白い肌に覆われた身体を細い腕で抱き、目を閉じたままシーツを探すように手を動かしたが、そばに無いことを理解すると諦めたように顔を覆った。
「この馬鹿が⋯⋯」
 やがて彼は両手をどける。現れた瞳は血のように赤く、人ならざる力を感じさせた。
「何の用だ」
 心底忌々しげに睨んでくる。ザックは肩を竦めた。
「起こしに来ただけだけど」
「何でわたしがお前に起こされなきゃならないんだ」
「いつまでも寝てるからだろ」
「馬鹿」
 アールは頭痛を堪えるように眉間へ皺を寄せる。ふう、と息を吐き、ベッドに乗り上がってきた触手たちに支えられて起き上がった。
 太さも凹凸もバラバラな触手の群れが、繊維のように束になって甲斐甲斐しく主人の世話を焼く。ザックは頬を引きつらせながらそれを見ていたが、思い出したように盆の上にある皿の蓋を取った。
「グヴェンが心配してたぞ。何を出しても口をつけてもらえないって」
 椅子を引き寄せて座る。深皿にたっぷりと注がれた黄金色のスープをかき混ぜた。炒められた玉ねぎと塩漬け肉の香ばしい香りが漂ってくる。が、アールはベッドに膝を立てて吐き捨てるように言った。
「そんな得体の知れないものが食えるか」
「得体が知れないって、ただのスープだろ。俺も朝もらったけど美味かったよ」
 言いながら、ザックは盆を手渡してきたグヴェンの顔を思い浮かべた。
 この屋敷のメイド長を務めている彼女は女性にしては長身で、常に暗い色のスラックスを身に付けている。肌も髪も黒く、あまり多くを語らないが、アールのことに関してだけは気を揉んでいるようだった。
 朝昼晩と手を変え品を変え提供しても突き返される食事の数々。何か気に障ることでもしてしまったか、と無表情に相談してくるのにやるせない気持ちになり、つい昼食を部屋の中まで運んできてしまった。
(まあ、俺が持ってきたからって食べたりしないだろうな、とは思ったけど)
 予想通り、アールは盆を無視するように顔を背け、ほとんど目を閉じたままだ。ザックは布袋を開いて鈴のように丸い小さな焼き菓子をつまみ上げた。
「スープが嫌いなら甘いのはどうだ?」
 毒が入っていないことを示すつもりでぱくりと食べる。焼けた表面がパリッと小気味いい音を立てた。中の生地はしっとりとしていて、噛むほどに食感が混ざっていく。舌に広がるほのかな甘みにザックは頬を緩めた。
(うまい。弟たち⋯⋯エディやヒュー、ベティにも食べさせてやりたいなあ)
 故郷に残してきた愛しい弟妹たちに思いを馳せながら噛み締めていると、アールはベッドを埋め尽くすように広がる黒髪を手櫛でまとめながら呟いた。
「お前はわたしをいくつだと思ってるんだ」
「え⋯⋯十七か十八」
「お前より年上だ」
「へっ?」
 素っ頓狂な声を上げて硬直したザックを尻目に、周囲の触手たちは彼の手にある袋から菓子を取り出して遊ぶように引き伸ばす。それからアールの口元へと持っていった。
 無邪気な動きで唇をつつかれたアールが億劫そうに小さな口を開き、放り込まれたものをもごもごと噛んで飲み下す。
「⋯⋯どこで買ったんだ、こんなモノ」
「ん? あー、もうすぐ祭りが始まるから屋台が増えてて。ポイと一緒に食べてきた」
 ザックは窓から見える街を見下ろしながらそう言った。
 夜明け前からギルドに赴き、すでに三件仕事をこなしてきている。すべて間もなく始まる建国祭にまつわるものだ。屋台の組み立てや看板の取り付け、積荷の上げ下ろしなどの依頼が連日山のように張り出されていた。力仕事が得意なザックにとっては稼げる時期だ。
「それで、仕事帰りに食べ歩きしようってポイと待ち合わせてさ。ポイはナッツとフルーツを蜜で固めたのが好きなんだって。そういやあんた、あいつの身分をちゃんと前の主から譲り受けてたんだな。前は待遇が良くなかったみたいでさ⋯⋯喜んでたよ。その後、聖典の展示が始まったら見に行こうって約束したんだけど、今年はレプリカらしくてがっかりしてた」
 ぼうっと思い返す。聖典が飾られる予定の教会の前で、耳も尻尾もだらりと垂らし、哀れなほど落ち込んでいるポイを一頻り励ましてから、ザックは彼と別れた。
 そして、そのまま真っ直ぐ屋敷へは戻らず、ある店の前まで足を伸ばした。
(⋯⋯。バラスおじさん、今日も店、閉めてたな⋯⋯)
 ドワーフとヒトのハーフで亡き父の友人でもある、生まれたときからザックを見守ってくれた大男、バラス。王都に来てからも世話になりっ放しで、愛用している剣も彼が鍛えたものだ。彼はザックが心から信頼する人物のひとりだった。
 が、つい先日アールに犯されているのを見られてからというもの、店を開けているようすがなく、ザックは一度も会えていない。
 散々焦らされた後にようやく射精を許されて、溜まりに溜まった精液がみっともなく噴き上がり、目の前のバラスへと降りかかる光景をまだ覚えている。
 常人には正視に耐えない、おぞましい一夜だったことは疑いようもなかった。
(やっぱり、嫌われちゃったかな⋯⋯)
 次会うことがあっても、これまでのように話すことはできないかもしれない。ずきりと痛む胸を無意識に抑えていると、アールは触手が運んでくる菓子を頬張りながら無造作に言った。
「午後からお前を使うぞ」
「⋯⋯、すんの?」
「いや。ついて来ればいい」
 ザックは『使う』という表現にぎくりと身体を強張らせる。が、すぐにほっとした顔になって、自身の腹に視線を落とした。
 ズクズクと息づく気配を感じる。そこには淫魔の奴隷の証である淫紋が刻まれていた。
 アールと初めて会った際に、契約の証として埋め込まれた呪いの刻印だ。
 自分の全てを捧げる代わりにこの国を守ってほしい、とアールに願い出たのはザックだ。今思えばまるで釣り合っていない馬鹿げた願いだが、アールはそれに応えてくれた。
 しかし――引き替えにもたらされる快楽はあまりに凄まじい。耐え難いほどに。
(俺⋯⋯本当にまともでいられるのかな⋯⋯)
 漠然とした恐怖が腹の疼きとともに広がっていく。思い出すだけで身震いするような身を焼く絶頂。白目を剥き泡を噴いて声が嗄れるまで泣き叫んでもなお与えられる地獄の快楽。後ろがひとりでにひくひくと収縮するのを感じたザックは慌てて頭を振った。
「えっと、どっか出かけるのか?」
「お前は黙ってついてこい」
「なんだよそれ。少しくらい話してくれてもいいだろ」
 突き放すような言い方をするアールに眉を寄せると、彼は最後の菓子を口へ放り込みながら「行きながら話す」とだけ告げた。


 暗がりの中、黴でぬめる石造りの階段をゆっくりと降りていく。先頭にはアールが立ち、薄ぼんやりと発光する触手を腕に掲げながら進んでいた。
「こんなところがあるなんて⋯⋯」
「有事の際の抜け道だ。貴族の住まいには用意されている」
 二人の小さな話し声が静かな空間に反響していく。それ以外に聞こえるのは床に足をつける時のぴちゃっという湿った音と、彼らの後を追う触手の群れがズルズルと這いずる音だ。
 ここは屋敷から続く地下道だった。ぬるつく地面に足を取られないよう慎重に進むザックを尻目に、アールは顎に手を当てて唐突に言った。
「あの夢魔はなぜ王都へ入ってきたと思う?」
「え? ええと⋯⋯いや、わからない。憲兵の話だと、あの一件以来似たようなことは起きてないって」
「では逆に、なぜ王都には淫魔が入れないんだ?」
「それは、聖典があるからだろ」
 なにを当たり前のことを、とでも言うような調子でザックは返した。
 王都を守護する鉄壁の結界。あらゆる魔のものを退けるとされる古代の魔術は聖典をもとに構築されているという。
 事実、王都が淫魔に襲われた例はザックが知る限り一度もなかった。あの一夜を除いては。
(そうだ。あの夢魔⋯⋯アルプはどうやって王都へ入り込んだんだろう?)
 あの赤い肌と牡山羊の角を持つ淫魔と数日前に街中で交戦し、夢の中まで押し入られた身としてはたしかに不可解だ。アールはなにか答えを見出しているのだろうか。ザックはちらりと前を歩く背を見たが、くせのある黒髪がふわふわと後ろへ流れるばかりで、アールの表情は窺えなかった。
 しかし、続く彼の言葉でザックは息を呑むことになる。
「わたしは入れたのに?」
「⋯⋯。それ、どういう⋯⋯――っ!」
 ハッとするザックの目の前で、アールはわずかに振り返った。魔の力を秘めた鮮血の眼差しが闇の中でギラギラと瞬く。
 そう、アールは半淫魔だった。人と淫魔の間の子だ。つまり、彼の身体には間違いなく淫魔の血が流れているのだ。結界がなんの反応も示さないのはおかしかった。
「展示がレプリカだと言っていたな」
「ああ。治安が悪くなってるから、って聞いたけど」
「もし聖典がその力を失ったのだとしたら。それを調べるためにあの夢魔が派遣されたのだとしたら?」
 追い打ちをかけるようにアールが言う。彼の言うとおり、アルプには特定の目的があるようには見えなかった。入り込むことそのものが目的だったのだとしたら辻褄が合う。
「淫魔は死なない、あれは魔界へと還った。無事に王都へ入り込めたことが知れれば、次に起きることはひとつだ」
 永遠に続くかと思われた階段がようやく終わる。最下層は広々とした空間で、暗がりの奥から空気の流れがわずかに感じ取れた。
 どこまで通じているのかと思いを馳せたザックが、アールを追い越して闇の奥へ進もうとする。その背にアールの静かな声が届いた。
「準備が必要になる」
「準備? って⋯⋯ッ!?」
 振り返ろうとした瞬間、ザックの全身に無数の触腕が絡みついた。
 思わず振り払うが、あっという間に両手両足を拘束されて叶わなくなる。膝裏を持ち上げられて身体が浮いた。不安定な体勢を強制的に取らされ、空中で無様に宙吊りになったザックの両足の間へとアールが身を滑り込ませる。
 疼く腹をいやに優しく撫でられてザックはかすかに身を跳ねさせた。
「まずは貪る者デバウアを殖やす。お前は壊れないから丁度いい」
「ふ、殖やすってどういう⋯⋯う゛ぁッ!? ちょっ、と、待っ⋯⋯」
 慌てたように問いかけるザックの服の中へと触手が入り込む。分泌した粘っこい液体で服をしとどに濡らしながらその背を埋め尽くし、勢いそのままに後ろの穴を探ってくる。ザックは起き上がろうと躍起になったが、抵抗もむなしく、細い一本がつるりと入って中に媚薬を注ぎ込んだ。腸壁の皺を伸ばしながら塗り広げられたそれは蠕動と共に尻から伝い落ち、ジワジワと粘膜を蝕んでいく。
「どれだけ騒いだところで無駄だ。大人しく犯されていろ」
 それだけ言い残してアールは石の階段を上っていく。彼が去ってしまう気配を察したザックが必死に呼び止めるが、彼は振り返ることすらなかった。
 こうして、広い地下室にはザックと、その身体を這い回る触手の群れだけが残された。

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