淫魔の王

本編
痒みに侵されながらの触手肛虐出産 - 3

 ぱち、と目を開く。
 黄金の刺繍に彩られた天蓋がある。そこからは絹で編まれた薄い布が垂れ落ちていた。
(⋯⋯⋯⋯。⋯⋯どこ?)
 身体を起こそうとして、走る痛みに顔をしかめる。ぱさついた赤毛を撫でおろし、ザックは寝台の上で暫し目をしばたかせた。
 外から声が聞こえてくる。怒鳴り声のように感じる。
「⋯⋯なんだろ。⋯⋯いっ、て⋯⋯」
 全身の気だるい痛みに耐えながらザックは窓辺へと向かった。
 明るい日光の下、大通りに色とりどりの飾りがかけられて風に揺れている。途方もない数の人々が――ぎっしりと通り一面に立ち並び、思い思いに声を張り上げていた。
 彼らの表情は一様に固く、怒りを湛えているように見える。
「え⋯⋯祭り、始まってる? 俺、何日寝てたんだよ!?」
 思わず叫び、ザックは自身を見下ろした。買った覚えのない薄い寝間着を着ている。滑るような触り心地や要所に施された細かな刺繍を見る限り相当に値が張りそうだった。
 慌てて慎重に脱ぎ捨て、クローゼットの中から普段の服と装備を見つけ出して羽織る。屋敷の中を駆け抜けていくと、丁度シーツを運んできたグヴェンと鉢合わせた。
「お目覚めですか。ずっと眠られていたので心配しておりました」
「そっか⋯⋯世話かけちゃったな、ありがとう! あ、アールはいる?」
「いえ、今朝がた王城から召集を受けてまだ戻られず」
「わかった! ちょっと出かけるよ!」
「行ってらっしゃいませ」
 それだけ交わして飛び出していく。馬車もなくなっていた。王城に呼ばれたと言っていたが、通りを埋め尽くす人々になにか関係があるのだろうか。
 ザックは路地を駆使しながら道を進んでいったが、やがて十字に道が広がる大広場に差し掛かり、停滞を余儀なくされた。
 人々が口々に大声で叫んでいる。王城へ向かう道には兵士たちが立ち塞がり、暴動を起こす手前になっている人々を厳しい顔で抑えていた。
「ふざけんなー! 門を開けろーっ!!」
「商品がひとつも入ってこないんじゃ、商売上がったりなんだよ!」
「いつになったら夫を入れてくれるのよ! もういい加減にしてっ!」
 彼らの怒声を聞きながら、ザックはぽつりと「門を開けろって⋯⋯」と呟いた。
 一体全体なにが起こっているのかわからない。誰か話せる人は、と見渡したところで、馴染みの人々と列に加わっている、一人だけ身体が飛び抜けて大きいバラスを見つけた。
 懐かしい横顔に思わずじんと目が潤む。髭が少し伸びたが、後は変わらずで、傍らの赤ら顔の老爺とささやきを交わし合っていた。
「やれやれだな。ったく、王様はなにを考えてんだか」
「こんな状況じゃあおちおち酒も飲んでられんわい」
「ば――バラスおじさん! 門が閉められたってホント?」
 勇気を出して話しかけると、バラスは仰天した表情になって数歩後退った。逃げるように顔を背けられる。その反応に傷ついたザックだったが、悲しみは胸の奥に秘めて続けた。
「お願い、教えて。俺のことはもう気持ち悪いって思うかもしれないけど⋯⋯」
「そんなことは思ってねえ!!」
 周囲の怒声にも負けない大声でバラスが叫び、一瞬辺りが静まり返った。
 ザックはきょとんとし、バラスは視線を集めてしまったことを恥じるように顔を赤らめる。
 周囲がまたうるさくなってくると、バラスは片手で顔を覆い、空いた方の目でザックを見下ろした。
「いいか、オマエはなにも悪くねえ。ただ、おれが⋯⋯おれは⋯⋯いや、もうこの話はやめだ。いいな?」
 有無を言わせない物言いにザックが黙って頷くと、バラスは大きく深呼吸する。そして顔を上げ、王城を振り仰いだ。
「朝に突然、王都への出入りが禁じられたんだ。おかげでどの店も商売どころじゃねえ。全員仕事なんかほっぽり出して、こうして抗議に来てるんだよ」
「どうしてそんなことを?」
「さあな、偉いさんが決めたことだ。だが一分一秒でも早く開けてもらわんと困る。祭りは国中の人間が集まる書き入れ時だからな。門が開くまで、おれたちはここを動かねえよ」
 話を聞いたザックが視線を走らせる。王城までの道は兵士たちに阻まれていた。ザック一人ではたとえ賢者の付き添いだと言ったところで通してはもらえないだろう。
(だとしたら、俺にできることは⋯⋯そうだ。門へ行ってみよう)
「教えてくれてありがとう、おじさん。俺は門のほうを見てくるよ。それじゃ⋯⋯」
 駆け出そうとしたザックの肩をバラスが掴む。見上げれば、バラスはどこか不安げな顔をして、ザックやその身体を見つめていた。
「無茶はするな。オマエの身になにかあったら、おれはアイクに顔向けできねえ」
 父の名を出されたザックがその刹那に瞳を揺らす。しかし、バラスの手を強く握り返したザックは快活に笑った。
「平気! また話すよ、おじさんも気をつけて!」
 今度こそ走っていくザックの背を、バラスは引き止めたそうにしながら見送る。一部始終を見守っていた老爺は「あの子はほんに頑張り屋だの」とひとり納得したように頷いた。
 ザックの足をもってすれば門へ辿り着くのもそう時間はかからない。こちらにも数えきれないほど人がいて、こちらのほうが殺気だっているように思った。憲兵を突き飛ばして扉を叩く者が引っ切り無しに連行されている。どうするかな、と路地から眺めていると、後ろから声がかかった。
「ザックじゃん! うわ、久しぶりっ!」
 振り向けば、そばかすだらけの顔に褪せた茶髪の巻き毛を持つひょろ長い男が立っている。
「サルバド! 久しぶりだな。今日は非番なのか?」
「そう。でも呼び出されてさ、来たはいいけど詰所にも入れやしない。帰って寝ちまおうかと思ってたや」
 彼は今年門兵になったばかりだった。もともと兵士としては力が弱く、机仕事のほうが向いているとぶつくさ言っていた彼だったが、そう思っていたのはどうも本人だけではなかったらしい。門兵になってからは王都から出がちなザックと顔を合わせることも多く、年が近いのもあって休みの日に遊ぶ機会も多い男だった。
 最後に会ったのはアールの屋敷に出向く前だったか。少し日に焼けた気のする顔を見ていると、彼は寝ぐせなのか生来なのか曖昧な髪を指で弄びながら呟く。
「全くヒマな連中だよな。開けないって言ってんだから、諦めればいいのにさ」
「そうは言ってもな。そもそもなんで開けないんだ? サルバドは知ってるのか?」
「一応ね。⋯⋯ナイショだよ?」
 サルバドが顔を近づけてきた。
「出たんだ。淫魔が!」
「⋯⋯いや、それならわざわざ閉めなくても、俺たちみたいな傭兵に討伐を依頼すれば⋯⋯」
「それがさあ、一体や二体じゃないんだって。数十はいるとかなんとか」
「数十ッ!?」
 ひっくり返った声を上げるザックに、さもありなんとばかりにサルバドは頷いた。
 いわく、夜明け前に飛び込んできた馬車は魔物の攻撃を受けていたが、御者と残っていた婦人だけは正気を保っていた。彼らの話を聞くかぎり、間違いなく淫魔が、それも大挙してこの王都へと押し寄せているという。
 先輩たちの見立てでは襲撃は時間の問題ではないか、ということだった。
「俺が言ったってナイショにしてよ? 聖典に守られてるとはいえ、出入りする人間を狙ってくることもあるからってさ。でもヒドイよな? 大勢の人が今も門の向こうで立ち往生してるのにさ。もし淫魔に襲われたら⋯⋯」
 言葉にザックが唾を呑む。門の外からは確かに、開けて、入れろ、という悲鳴のような叫び声が絶えず聞こえてきていた。
 だが、ザックが考えているのは『外』のことではない。
(結界がもし無くなっているとしたら。押し寄せた淫魔たちがすべて、この王都に入ってきたら⋯⋯)
 ちらりと通りへ視線を向ける。王都中の人間が集まってきたのではないかと思うほど、足の踏み場もないほどに密集した人、人、人。彼らを襲う無数の影を想像すると鳥肌が立つ。そんなことは絶対に許せなかった。
「サルバド、その淫魔の群れって、どこで見つかったとかわかるか?」
「ん、あー、北の森だったかな。⋯⋯そんなこと知ってどうすんの?」
「教えてくれてありがとう!」
 礼だけ言って走っていくザックの背に、焦ったようにサルバドが叫ぶ。
「ザック! 王都から出ちゃダメだよ、絶対に!」
 ザックは声に振り返らず、一目散に屋敷へと走った。
(地下のあの抜け道。もし貴族のために用意された通路なら、ひょっとして外につながってるかもしれない。危険だけど⋯⋯怖い、けど⋯⋯、でも!)
 腰に揺れる剣を押さえる。ひたひたと迫り来る恐怖と、立ち向かう意思。ふたつの相反する感情を青い目に宿しながら、ザックは屋敷のドアを開け放ち、全速力で地下へと向かっていった。

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